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「安逸心」に気をつけよう


文/中国の大法弟子

(明慧日本)邪悪の迫害方法には2種類あります。その一つはあなたに恐怖を感じさせる、目に見える迫害です。もう一つは隠蔽的な方法で心地良い環境の中で、あなたに安逸心を生じさせることです。魔はこの2種類の形式を使って修煉者の心性を邪魔し、試練を与えています。

 往々にして邪悪から圧力がかかってきたとき、主意識をはっきりさせ、関を乗り越える中で、常に強固な正念を堅持するよう注意します。しかし、心地よい環境の中では、修煉者は邪悪に隙に乗じられやすく、安逸の中では、正念を緩めやすいのです。自分が幸せだと感じるとき、自分が実は苦しみの中にいるとだれが想うでしょうか? 一家団欒の幸せの中で、自分を把握することは容易なことではありません。心地よい、安逸な環境は修煉者に確固たる信念を持たないように、苦をなめる事ができないように、忍耐することができないようにさせ、最後には苦をなめることを恐れ、苦をなめたくなく、修煉をしたくなくなり、最終的に邪悪に隙に乗じられて、あなたの修煉は台なしになるのです。

 心地よく、安逸な生活をすごすなら、業を滅することはできません。安逸心は人を怠けさせ、また恐怖心を生じさせ、情に対する執着心、歓喜心、闘争心、名利心などを生じさせます。安逸心は気づきにくく、魔の一種の迫害方法であり、最も危険なことです。修煉してもよく、修煉しなくてよい一部の人たちが大法を離れて行った多くの原因は、心地よい生活環境を失いたくなかったからです。安逸心は危険信号です。もし本当に安逸心により修煉をやめてしまったら、それは最も後悔することになるでしょう。

 そうであれば、安逸な環境は要らないのでしょうか? そうでもありません。ただ、私たちに授けられた心地よい環境を、大法を実証し、三つのことを行うことにうまく利用し、大法が自分に賦与した使命と繋ぐことです。大法の資源を無駄にしてはいけません。すべては大法を実証することに協力するためにやってきています。私たちは安逸心により自分がだめになるのを恐れて、また意識的に苦を探して舐めてはならず、ただ心地よい環境の中で、更に厳しく自分を要求し、終始修煉者の状態を保っていれば問題ありません。修煉ということは苦を舐めることです。心地よい環境の中で、心地よいと感じるその心がなければ、問題ありません。

 私たちがこの宇宙大法に従って、着実に修煉さえすれば、私たちは如何なる環境の中でも成就することができます。どんな人心であれ、どんな迫害形式であれ、修煉者の道を阻むことはできません。

  2010年4月15日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/4/9/221217.html

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