神韻公演を見た感想 文/ヨーロッパの大法弟子
(明慧日本)神韻公演の中には必ず法輪功に触れる演目があります。多くの同修は公演を鑑賞するときに「観衆はどのように反応するだろうか? 観衆はこんな強い情報を受け入れるだろうか」という常人的な考えが現れます。
この数年、真相を伝える中で、私たちは主に大法のすばらしさと、大法を修煉して、いかに良い人になったかを紹介し、迫害を暴露しました。常人の頭の中は汚い観念があふれていますから、わたしたちは常人の良くない観念を引き起こさないように、できるだけ私たちの観念に合う言葉を選びます。常人の良くない観念と業力を完全に排除することはできませんから、神の存在、大法の神聖さ及び私たちの神聖な修煉のことになるべく言及せず、目の前にいる常人が自分の位置をよく整えるようにと願うだけです。
このように遠慮して、「法輪功のことに直接強く触れると、常人は受け入れられないのではないか」と心配してしまいました。しかし私達は、神韻は完全に師父がなさっておられることを忘れてはいけません。劇場に来られた人々の縁、エネルギー場及び他の空間で生じたすべての事は、わたしたちが以前にやったいかなることとも比べられませんから、私たちは自分の考えを正して、師父の按排を完全に信じるべきです。
昨日、私は神韻のベルギー・ブルージュ公演を鑑賞しました。天安門の前に立って横断幕を開いた大法弟子の舞踊『震撼』が始まったとき、私は「自分の考えを早くチェックし、法の角度からこの演目を鑑賞し、常人の観念で鑑賞しないように」と意識しました。そのとき、私の天目から見えた光景がきれいになりました。
劇場のすべての粒子は金色に包まれ、他の空間のすべては金色のエネルギー場に巻き込まれ、回転していました。観衆は舞台を見つめ、完全に魅惑され、泥沼から抜け、生まれて初めて光を見たようでした。観衆は鑑賞しており、神はなさっておられます。舞台でダンサーが観衆に向けて「法輪大法はすばらしい」という横断幕を挙げると、横断幕の一つ一つの文字は劇場へ向けて強い光を発しました。
そのとき、私の天目は飛天(菩薩であるかもしれません)が観客の上を舞っているのが見えました。観客の元神は非常に黒くて、頭の中には業力があふれていました。飛天の仙女は観客へ向けて純粋な光を放ちました。光が観衆の体に着いたとき、彼らの頭の中にあった汚れたものと業力、また良くない考えが内からきれいに浄化されました。私は仙女たちの慈悲と愛を感じました。彼女たちは観客を自分の子供のように扱っていました。
ますます多くのエネルギーが劇場に集まってきて、他の空間から連続して発射してきた一つ一つの原子爆弾のように、巨大な功柱を通り抜けた天体が劇場の観衆を包み、すべてを加持して正していました。また、私は一つの巨大な装置が見え、巨大な法輪のように劇場の真中で水平に回転して観衆を正していました。
そのときの私の一念は、「すべての事の按排はこんなにも苦心して緻密で、しかもこんなにも難しいのか」ということでした。師父は劇場のすべての人を救うことができますが、いかなる事も観衆の集中力が分散したら、例えば、演目の中で人が歩いたり、雑音や、フラッシュなどがあったりすると、これらのすべては新たに調整しなければならず、人を救う過程はたいへん複雑になります。観衆が見たのは舞踊であり、聞いたのは音楽であるべきで、その他の如何なることもあってはなりません。
大法弟子の体が所持しているエネルギーは非常に強いのです。これは神韻芸術団のダンサーだけでなく、すべての大法弟子もそうです。彼らの体は強大な保護のようです。また彼らの功は法を正す全過程の中で、師父に手伝って一緒にこの事をやっていました。また、彼らの衆生は法を正すこの過程の中で同化されました。
わたしが鑑賞したとき周りで大きな問題は生じませんでしたが、大法弟子の考えに動揺があれば、彼らの功能がすぐ弱くなり、彼らの体がすぐ小さくなり、全体に漏れが生じ、また観衆も良くない念が生じます。ときに、公演の中で法輪功に触れることが嬉しくない観衆がいることは、私たちの念から出たことではないでしょうか。そのとき、私達が彼らの話に追随すれば、問題が複雑になり、彼らを救い済度することが難しくなります。
夜、家に帰った後、私は同修たちが他の空間で発した功がまだ見えました。私たちのやった事はたいしたことではありませんが、これは自分に注意を与え、やった事の大切さ、また考えと行為から生じた効果を覚えにくくさせました。表面では私達が妨害に遇うかもしれませんが、動揺せず、自分の心性を向上させれば、他の空間にいる私たちは山を一から二つに割ってしまいます。
これは私の次元で見たことと自分の今の理解です。絶対ではありません。ご参考にしていただければうれしいです。不適切なところがあれば、教えてください。
2010年4月15日
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/3/17/219951p.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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