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「無私」と「私」についての悟り


文/中国の大法弟子

(明慧日本)一回また一回の試練を受けたのち、「私(し)」の問題を正視しなければならないと分かりました。なぜなら、何回も根本的に「私」に触れたからこそ、試練を乗り越えられなかったり、心性を守れなかったりしたからです。「私」は「無私」とまったく違うもので、修煉と正法の道において最も大きな障碍です。

 「私」の一つ目の表れは自分を守ることでした。瀬戸際に立ち、重大な利益に直面する時に、できるだけ自分を守りたいという考えは、旧勢力が迫害をする上での最大の言い訳です。「無私」の表れは衆生のためです。師父は、「ご存知のように、佛、神は衆生のため、宇宙の利益のために命を放棄することができ、何でも放棄することができます。しかも、その時平然として動じないのです」。(『米国西部法会での説法』) 退学して刑務所に入れられた時、獄吏に「お前は自分がいい素質を持っていると思っているのか。一挙一動がそんなに利己的なのに」と言われたことがありました。それを聞いて,私はびっくりしました。

 確かに、その時私は自分を守りたいため、同修を守れなかったのは事実です。そして、自分が迫害されて刑務所に入れられた人間なので、その中の人たちとは違うと考え、彼らは全部悪い人なので、彼らと離れたいとばかり考えて、全然慈悲ではありませんでした。「私」は自分を守りたくて、宇宙の特性と違うものであると認識できた後、不思議なことが起こりました。その時、獄吏は私をいじめなかったのです。ある日、私がご飯を食べてベッドの板を拭いている時、彼女はいきなり身体を押さえてきました。私は胃がちょっと動いたとしか感じられなかったのです。けれども、午後から彼女は熱が出ました。3日後、彼女は治り、自分が悪い事をしたと認識できました。

 「私」の二つ目の表れは耐えたくない場合、耐えられないと思うことでした。根本的な利益に触れたからこそ耐えられないのです。他人を怒っている時も、間違いなく心が耐えられないからです。労働教養所で殴られる時、正念が強く痛みは感じませんでした。殴られることはこんなものかと思いましたが、ある夜かれらは私をひどく蹴りました。明け方までまだ長くて、死にそうだという考えが出て来たとき、身体がきりきり痛み、耐えられなくなりました。とりあえず懺悔書を書いて、明けたら隊長にそれが無効だと声明するつもりだったのですが、やはり毎日罵ったり、殴ったりされたくないので妥協しました。労働教養所から出る直前まで、「邪悪に書いたものは無効で、改めて修煉し人を救い済度して損失を補う」と声明しませんでした。

 なお「無私」の表れは、動揺せず大法を実証しながら衆生を救い済度することです。「人の佛性とは善であり、慈悲として現れるもので、何かをする時にはまず、ほかの人に配慮して、苦痛に耐えることができるものです」(『精進要旨』「佛性と魔性」)と師父は説いてくださいました。それで、大法弟子は残酷な虐待に対しても正信をかため、迫害されても衆生を救い済度するべきです。

 「私」の三つ目の表れは自分を実証することでした。自分を表して認めてもらいたいのです。なお「無私」の表れは黙々として報いを求めずに、やるべきことをやることです。つまり、「私」は一切の人心の根源です。旧勢力が大法と大法弟子に対して迫害を行うのも「私」的な目的で、さらに生命の「私」という特性を利用していろんな悪事を手配しました。宇宙全体は腐敗堕落しておいます。旧生命は、もう「私」と「無私」をはっきり見わけることができなくなりました。中国共産党も「国民のために政党が存在している」といいながら、悪いことばかりしています。無条件に大法に同化してこそ、真・善・忍の新宇宙に入ることができます。修煉者として、法を勉強して同化できてこそ、旧勢力の迫害と手配を破ることができます。

 以上は個人的な認識です。同修の慈悲なるご指摘をお願いします。ここで、もう一度『精進要旨』の「佛性に漏れなし」を勉強しましょう。「さらに皆さんに教えますと、実際には、皆さんの以前の本性は、自らのため、私のためを根本としたものだったのですが、今後、何かをする時には、まずほかの人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他の人を先に、自分をあとにするという正覚(しょうがく)にまで修め遂げなければならないのです。 それゆえに皆さんは、今後、何かを行ない、何かを口にする時にも、ほかの人のため、ひいては後世の人のために考えなければなりません! 大法(ダーファ)が永遠に変らないようにするために考えなければならないのです!」

  2010年4月16日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/2/11/217912.html
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/2/20/114815.html

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