■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/04/16/mh174224.html 



同修を助けて悟ったこと

文/中国の大法弟子

(明慧日本)最近、夫(同修)の修煉状態がよくありません。私が修煉について夫と交流しようとする度に、夫はいらいらして、「もう話さなくでもいい、私が修煉をやめればいいだろう」というのです。これを聞いた私は不満で、夫と言い争ってしまいました。

  後になって冷静に考えると、すべてのことに偶然はなく、私は内に向けて探すべきだと思いました。私は家族との「情」を探しました。夫が話すことは法を守っていない、自分の基点に立って話しており、法に適っていないため邪悪に隙に乗じられ、迫害されるのではないかと恐れていました。ですから、私は夫と話すときは緊張して、真に夫に対して責任を持って話していなかったのです。夫と話すとき、不機嫌な顔を見ると、心のバランスが保てなくなり、心が痛み、悲しくなり、修煉者としての善の心がなくなり、怨む心が生じたのです。

  これらのよくないものを認識できたとき、私の思想はぱっと開いたように感じました。これは私がいる次元に、師父が法を現してくださったと分かりました。そこで思ったのは、「情」によって左右されてはならず、正念をもって問題を見つめなければなりません。自分の心理状態を正し、私の夫としてではなく、魔難に遭っている1人の同修として、また師父の大法弟子として接すればいいのです。そして一念を送りました。「同修に隙があるからといって、邪悪に迫害されてはならず、師父は弟子の面倒を見てくださっています。法に適っていないところがあっても、修煉の中で正に帰することができ、邪悪の入る余地はないのです。もし妨害するものがあるとすれば、それは罪なことです」

  私は悟ったことを夫に話しました。夫は何も言わず暗い表情をしていました。そこで私は、夫の態度は真の夫ではなく幻想であり、その幻想に動かされてはならないと思いました。そして、私は師父が言われた法理を思い出しました。「なぜなら常人を相手にする以上、さまざまな常人の心が妨害してくるからです。人の病気を治してやっても、本人はまったく理解しない場合もあります。病気の治療をする時、どれだけ悪いものを取り除き、どこまで治してやったのか、すぐにははっきりした変化が現われないこともあります。それで、その人は機嫌が悪く、感謝するどころか、騙されたと罵るかも知れません! こういうことに直面して、どう対処するか、といった環境の中で、人の心は磨かれていくのです」(『転法輪』) 私は悟りました。夫の行動は、私の心性を高めるためだったのです。私は再び内に向かって探しました。先ほど夫と話したときは、顕示心や自己を実証する心を帯びていたので、夫はそのような態度をしたのです。これらの執着心を認識し、取り除こうと決心したとき、夫の顔色がよくなり、笑顔いっぱいで話してくれました。それ以降、私と夫は一緒に発正念をし、一緒に学法しています。

  大法弟子として、どんなことがあっても「修煉をやめる」という言葉を口に出してはなりません。口に出せば邪悪に隙を与えてしまい、同修間の隔たりを作り、お互いの執着心を増強させ、最後には同修を修煉の道から引きずり下ろすかもしれません。この状況になってしまいますと、師父や護法の神も何もできません。なぜなら、それは自分が求めたからです。修煉は厳粛なことで、一時の迷いによって師父が私たちにしてくださったことを否定してはなりません。師と法を強い信念で信じてこそ、円満成就の基準に達することができるのです。

  2010年4月16日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/4/11/221334.html

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