私が見た清河留置場での迫害
(明慧日本)私が北京清河留置場から出てすでに2年になる。しかし、留置場で出会った人や目撃した様々なことがいつも私の脳裏に浮かんでくる。
留置場の警官のあの狂暴な目つき、彼らの目にはみんなが泥棒であり、悪人のように映った。しかし、往々にして中国共産党の留置場に身柄を拘束されている人は、罪を犯しているのかどうか断定できない。本来は身柄を拘束されている時、犯罪になるかどうかを捜査される段階であるため、自由でなければならない。しかし、中国共産党統治下での中国公民にとってこれらの人権は無視されているのが現実だ。
2008年、私は法輪功を学んでいるという理由で不法に清河留置場に連行された。そこの生活条件は極めて悪かった。私は警官に逆らったとして小屋に入れられた。小屋というのは壁の四面がスポンジになっている4平方メートルの小さい部屋で、そこには私を含め全部で5人が詰められ、隅には便所まであった。私は4人に監視されていた。彼らにここは他より良いほうだと聞いた。
一週間後に私は他の部屋に移動させられた。私は農民の家庭で育った者だが、それでもここの極めてひどい環境に驚きを禁じえなかった。一部屋に27人から32人が入れられ、夜になると横たわることができるのはたったの20人(便所の中でダンボールを敷いて横たわる人も含む)、残りは立って当番に当たるのだ。2時間交替で、夜が明けるまで4回交替するのだ。さらにここでは食べ物さえろくに与えられず深刻な飢餓に瀕している。
2010年4月18日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/4/17/221702.html)
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