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縁を大切にし、ともに精進する


文/中国の大法弟子・安心

(明慧日本)今日の午前、同修と交流しているとき、同修は生活の中の困惑を話しました。私は彼に言いました。「師父は『転法輪』で口を修めるという問題を上げました」同修は依然として話を止めませんでした。私は何度も口を修めるということを繰り返し言い、やっと同修は言うのをやめました。

 その後振り返ってみると、当時、同修が自分の困惑を話すとき、同修に口を修めることを何度も強調しました。修煉者は修煉の過程ではトラブルなどに遭ったら、それは偶然ではありません。同修が困惑を強調しているのは、同修が関を突破すべき時かもしれません。しかし、その時、私は善と忍に従うことができませんでした。ただ口を修めることを強調し、自分の観念と法に対する理解に執着していました。

 2004年、この同修の助けのもとで、法を得ました。私の中で、この同修は大法に対する理解と修煉の次元が私より遥かに高いと思っています。ですから、彼が困難に遭い、困惑し執着するとき、なぜこのように考えるのか疑問に思い、その善と忍の心が薄くなってしまいます。

 実際、同修は修煉者であり、円満成就するまで各種のトラブルに遭います。トラブルに直面するとき、少しずつ執着心を取り除きます。もしかして、私たちはこの重要な時期にお互い目覚め、ともに助け合うことを誓い、世に降りたかもしれません。これは私たちの縁です。また、大法に対する縁もあります。しかし、私は自分の考えに執着し、同修の困惑を顧みませんでした。

 最近、家族とのもめごとに会うことを思い出すと、情の妨げにより、家族を衆生として見ることができませんでした。家族が大法を受け入れないことに悩みもだえ、常人の考えをする家族に耐えられませんでした。その結果、家族は大法弟子が修煉してからの素晴らしさを感じることができず、このような状態は家族が大法から遠ざかることを引き起こすかもしれません。

 この文書を書いたのは、修煉し、法を師とみなし、真、善、忍の法理に従い自分を律するよういつも自分に注意しています。相手は衆生、家族また同修に対しても、真、善、忍に従い自分を修煉し、良し悪しを区別する心を持たず、外部の原因で自分のやり方を変えないように努力します。常に真、善、忍に従い自分を律することでしか、日々精進し、円満成就して師父とともに帰ることができません。

 2010年4月19日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/4/17/221682.html

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