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困難を乗り越え、大法を修める(一)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)1998年末、私は法輪大法の道を歩み始めました。修煉する前、私の暮らしと体の苦しみは耐えられないほどでした。私が病気になり、体の調子が悪いとき、夫はまったく無関心なだけでなく、さらに罵詈雑言を浴びせました。私は言葉が少なく真面目な人間です。当時、常人の私は病気で悩まされ、息子がまだ学業を終えていないので、生きるに生きられない窮地に落ちました。偶然の機会に、1人の法輪功修煉者が私の病気を心配して、私に法を学ぶように勧めました。法輪功は病気を取り除き健康を保つことができるということでしたが、その時、私が罹っている病気はあまりに重く、無神論の影響もあり、私は断りました。

  ある日、私は市場へ2足の靴を買いに行きました、販売員は1足分のお金を受け取りました。私は速やかにもう1足分のお金を払いました。販売員は驚いて、お客さんは何か信じているの? 法輪功の人でしょうと聞いてきたので、法輪功は正法だろうと思い、心から法輪功を勉強したいと思いました。買い物をした後、家へ戻る途中で、法を広げる弟子たちが法輪仏法というスローガンを掲げているのを目にして、なぜか親しい気持ちが湧いてきました。しばらく足を止めてみているうちに、道に迷って久しぶりに家族と再会したような感じがしました。

  村の煉功場所は家のすぐそばにあり、私は学びに行きたかったのですが、夫は許してくれませんでした。そばにいくと、録音テープから流れる声が耳に入ってきました。聞けば聞くほど煉功したいと思いました。夏休みに息子が帰省して、煉功をしているクラスメートがいると言い、本を買ってこようかと私に話しました。10月1日、息子は家に戻りましたが、『転法輪』は買えなかったと私に返事しました。私はクラスメートに頼んでほしいと息子に頼み、息子は『転法輪』を持って帰ってくれました。

  正月前に、ある弟子が師父の説法ビデオを見に行くと私に知らせてくれました。私は今回必ず行くと誓いました。夫はビデオを見に行くことをあれこれ阻止しましたが、最後に、家から抜け出しました。ビデオ画面で慈悲なる師父を見て、涙がいっぱいあふれてきて、長年心に積み重なった辛い思いや塞いだ気分がなくなり、気持ちがよくなって、経験したことがないほどいい感じでした。心は電車が走り、船が航行できるように広くなりました。第一講が終わりました。夜は今まで苦しんでいた腎臓炎が奇跡的に邪魔をしませんでした。以前は一晩中7、8回もトイレへ行きましたが、その日は法を1回しか聞きませんでしたが、朝までずっと寝て、トイレにも行きませんでした。

  その日から、私は決意をしました。いくら困難に直面しても法を学び、煉功を続けなければなりません。修煉する前に視力は弱かったのですが、弟子たちと一緒に『転法輪』を読む時に、字ははっきり見えないのですが、弟子たちが読み間違うと私は見えるようになりました。順番に読む時、私は最後でしたが、意外に字がはっきり見えました。以前は神経病を罹っていたので、静功をしている時に手がひどく震えましたが、間もなく手が道具で固定したように、水平になりました。

  もう一つの出来事は、法を学びに行く途中、地面に1元が落ちていました。このお金は私のものではないので、拾うべきでないと思いました。その夜、静功をしている時、水の上に座っているように、ひらひらと漂って少しも動きませんでした。以前は5分すら我慢できませんでした。秋に稲を刈り取る時、私は2束の稲すら刈り取る力がありませんでした。夫は私の病気をぜんぜん気づかうことなく、だらだらと仕事をしていると罵りました。

  1999年からこんなに素晴らしい大法が江沢民たちに禁じられ、弟子たちは気が狂ったかのように弾圧されました。私も数回拘禁されました。1回目は長春へ陳情に行くときでした。その時はどうしてこんな素晴らしい法輪功を煉功しなかったのか、法輪大法が素晴らしいことを世の中の人々に告げたいと思いました。長春で24時間拘禁されました。釈放されてから、私は迫害の重点対象となり、7回拘禁されたことがありましたが、正念を発して難を乗り越えました。

 (続く)

  2010年4月20日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/4/17/221685.html

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