■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/04/21/mh224799.html 



困難を乗り越え、大法を修める(二)

文/中国の大法弟子

(明慧日本)私が4回目に拘束された時の出来事です。留置場の中は寝床がいっぱいで、約3カ月間、コンクリートの床の上に寝ていました。私はずっと以前、腎臓炎を患ったことがありましたが、何事もありませんでした。また以前は歯が痛くてたまりませんでしたが、修煉してから再発したことはありません。この期間中、ある受刑者が刑期を短縮するために、私たちが経文を持っていることを留置場の担当者に密告しました。一枚の手書きの経文を見つけ出され、私は顔を打たれました。打たれた所はちょうど歯の痛い所で、ただ、ビリビリしましたが、しばらくして涼しい風が吹いたような感じあり、その後、まったく痛みはありませんでした。密告した受刑者は痛くて涙を流したり、薬を飲んだり、注射したりしましたが、ぜんぜん効果はなく、4、5日間ずっと続きました。私は善悪には善悪の報いが必ずあると受刑者に話し、「法輪大法は素晴らしい」と念じさせました。そして、受刑者の痛みはやっと消えました。

 留置場では座禅を許してくれませでした。この場を善の場に変えたいと思い、担当者に協力しませんでした。これは法に対して正しく認識させることであり、協力することは、かえって害を与えるに等しいのです。後で自分から災難を招くことがありえます。初日、私は座禅しているところを発見されました。担当者はほうきを手に持ち、直接私を打ちませんでしたが、ベッドを叩きました。私は動じませんでした。「座禅を禁止しているのに、何で座禅したのか」と怒鳴りました。私は「座禅してはならないという法律はないでしょう」と聞くと、担当者は「ない」と答えました。私は「法律も留置場の規則も犯していませんが、何の法律に基づいて座禅を許可しないのですか」と言いました。担当者は道理に合わないのをすでに知っており、「他の人は座禅しないのに、私にも立場がある。ここから出てするならいい」と私に言いました。私は「よろしいです。今日はあなたの立場を守ります」と答え、私は座禅の足を下ろしました。

 翌日、担当者は部屋に入って来て、私が相変わらず座禅しているのが目に入りました。一言も言わずベルトを握って私を打ってきました。パンと響く音がしましたが、私は痛みを感じませんでした。師父が私の難を引き受けてくださっているのは分かっていました。担当者は疲れて去って行きました。その後、担当者(劉という)の姿は1カ月あまり姿を消しました。

 1カ月後、劉は地面を掘ることを皆に指揮しました。ある同修が「劉担当者はどこかへ出張に行っていたのですか」と尋ねました。「出張ではないよ、あの修煉者を鞭で打ってから、罰が当たった。子供を抱いていてひなたぼっこをしていたら、どうしてか分からないが、子供が道路の溝に落ち、重症になった。この間は、子供の治療で忙しかった」と言いました。弟子が「よくなりましたか」と聞くと、「まだだよ、出勤しないと首にされるかもしれない」と答えました。この出来事のあと、留置場の担当者は誰も私たちを苦しめませんでした。

 舒蘭法会に参加した時の出来事ですが、当時、弟子たちは警察に包囲され、ある大法弟子は窓から逃げ出し、逃げられなかった大法弟子は木の棒や鉄パイプで暴力を振るわれました。私は西の棟の西南角にしゃがんでいました。「いくら困難に直面しても、邪悪の要求、命令や指示に従わないよう」にとの師父の説法を思い出しました。絶対に警察に協力しませんでした。東の壁に寄りかかっていました。推されたり、床に押さえつけられたりしても、協力しませんでした。警官は怒り、鉄パイプを握り、「お前を殺すぞ」と脅しました。窓の外にいた人が「諦めましょう、殺しても同じだよ」という声を耳にしました。警官は仕方なく、鉄パイプを捨てて去っていきました。真に法を信じ、師父を信じると、災難は解消することが見事に証明されました。

 言いたいことは数え切れないほどですが、最後に拘束された時の事を簡単に話して、終わります。2002年4月10日、庭でトウモロコシを日に当てていました。突然4、5人の警官と町長が1台の車から降りてきて、いきなり家に入り、強制捜査を始めました。一部の経文と『転法輪』が奪われました。警官は私を逮捕したいらしく、しかし、あえて私に近寄って来ませんでした。もし町長が私を推さなかったならば、警官はそのまま動かなかったでしょう。私が町長に推され、警官たちは私を連行しました。3回の健康診断で心臓が悪化していたのと甲状腺肥大の2項目のために、舒蘭留置場から長春労働教養所へ移送されませんでした。北京オリンピックが終わり、再び釈放されました。邪悪の迫害を乗り越えました。しかし、町長は大法弟子の迫害に加担したので、悪報にあいました。息子は離婚し、妻は病気で4、5万元の医療費がかかりました。

 多くのことを書きました。弟子たちに告げたいことですが、師父のご加護とお守りがなければ、私は困難に満ちた7回の迫害を乗り越えることはできませんでした。執着心により何回か迫害に遭いました。これからはいっそう努力して不足を補い、修煉を続けていくよう精進します。不足な部分は同修たちのご指摘をお願いします。

 (完)

 2010年4月21日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/4/17/221685.html

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