日本明慧
■印刷版   

グループ学法は全体に更なる成熟をもたらした


文/中国の大法弟子

(明慧日本)私たちは1996年来幸運にも修煉を始めました。偉大で慈悲なる師父の加護と巨大な宇宙大法の恩恵の下で、私たちは困難の中で13年を歩んできました。満身にある業力と何も知らない常人から生まれ変わって、法を正す時期の大法弟子になりました。師父の救い済度と教えに感謝しながら、十数年の修煉心得を師父に報告し、また同修と互いに励まし合います。

 1996年5月、我が市は師父の講習会に参加した数人の同修が法を広め始め、しばらく経ってたくさんの人が相次ぎ大法の修煉に入り、市から町村まで最初の十数人から数千人にまで達しました。煉功点は市町村の至る所にありました。私の家にも学法グループがあり、最初の4〜5人から20数人に増え、その中には年配の方が多くいました。彼らは知識レベルと記憶力は低いのですが、学法の意欲は強く情熱が高かったのです。

 皆はグループ学法を通じて、大法に対する認識が感性的なものから理性的になり、多くの法理を理解でき、 「真・善・忍」の修煉の道で絶えず向上し、比して学び、比して修す中で、絶えず精進しています。

 1999年7月20日から中共邪党の天地を覆い隠すような鎮圧の下で、グループ学法を一時中止しましたが、多くの同修は邪悪のうそに惑わされず、師父を堅く信じ、大法の独学を中止せず、修煉の道で動揺しませんでした。一部の同修は省政府に直訴し、一部の同修は天安門に行って師父と大法の潔白を実証し、一部の同修は地元で真相資料を配りました。少数の同修は恐れて修煉をやめ、一部の同修は宗教に入りました。師父は『精進要旨』の「白日の下にさらけ出す」の中で「わたしたちが常人社会の情勢をちょっと変化させ、情勢が逆転した情況の下で、誰がまだ、大法は素晴らしいと言うかを見て、誰の心理状態が変化するのかを見るならば、たちどころに、すべてがはっきりと現れてくるのではありませんか?」とおっしゃいました。その後、私たちはグループ学法を回復し、『転法輪』と師父の各説法を繰り返して勉強しました。皆は現在の修煉が個人次元の向上だけではなく、師に従って法を正し、衆生を救い済度する大法弟子の使命をさらに認識できました。

 甲同修は70歳に近い人で、学校に行ったことがないのですが、グループでの学法に欠席したことがなく、一文字一文字を学びながら皆に付いていき、家に帰って夫と子供から文字を教えてもらい、半年経たないうちに一段一段を独りで読めるようになりました。現在、彼女は師父の説法を全部読めるだけではなく、 『明慧週刊』と大法資料も読めるようになりました。骨身を惜しまず学法と煉功をするにつれて、師父は彼女の体を浄化してくださいました。見た目は肌が白くてきれいで、50代の人のようです。この同修は心性の向上が速く、性格も良くなりました。家族は彼女の大きな変化を見て大法の素晴らしさを感じ、結局一家13人が共に大法修煉に入りました。当時、これは美談として伝えられました。

 乙同修は大法を得る前に尿毒症に罹り、病院からは治療が不可能だと言われました。学法と煉功をしばらくして彼女の尿毒症は完全に消えました。こうしてこの同修は大法の修煉にさらに自信を持ちました。2005年のある日、彼女は他の数人の同修と一緒に町村で真相資料を配っている途中、人に密告されて警察に連行されましたが、彼女は正念で留置場を出ました。それから、この同修の修煉の意志はさらに堅く、家で学法グループを設立しました。2009年、彼女は家に侵入した「610弁公室」の警官に対し、「悪いことをすれば必ず報いがあるから、悪い行いをしないように」と勧めながら、嫁に他の同修に知らせに行かせ、迫害を避けました。

  丙同修は70歳に近い人です。師父がどのようにおっしゃったか自分もどのように行うべきかという原則に基づき、大法を勉強し、心を修し、三つのことをよくするように努めました。修煉をやめた同修の回帰を勧めるため、何度も彼らの家を訪ね、拒否されてもめげませんでした。彼女は心が純粋で、念が正しく、4回連行されても邪悪を恐れず、グループ学法に参加し、三つのことを行っています

  丁同修は定年前の役所の幹部で、恐怖心が強く、また党文化の毒害を受けすぎており、修煉を一度やめました。グループの同修は彼を、諦めず、よく説得して彼を修煉に連れ戻しました。修煉に戻ってきた同修は大法資料の運送を積極的に担当し、同修である奥さんと一緒に家庭資料点を作りました。

  巳同修は少数民族です。彼女は真相の伝えと三退の勧めを積極的に行い、1年で数百人の三退をさせました。グループの中には彼女の勧めで三退をした人が最も多かったのです。

  庚と辛同修は古い学習者です。各資料点に技術と機材を提供しています。彼女たちは厳しい情勢の中で各地域から助けを求めて来た同修を助けて問題を解決し、協調しました。この同修2人の活動に私たちはたいへん感動しました。

  壬同修はこの数年来十数人の明慧文章と資料の転送を担当しています。パソコンに触ったことのない状況の中、彼女は短い期間に真相資料を作るすべての技術を身につけ、また彼女の助けから、その小さい学法グループにいる年配の夫婦も資料点を作りました。

  皆は各自の資料点を設立する過程と、師父の苦心の按排の下で多くの人心を見付け、関を乗り越え、同修の皆に遅れず『明慧週刊』を配り、全体の向上に大きな役割を果たしました。

  2005年に我が市のいくつかの大きな資料点が相次ぎ邪悪に破壊されました。私たちは恐れず、待たず、資金を集め、技術を学んで資料点を回復しました。ある同修は「お金を大法のことに用いて、その本当の価値が現れました」と感想を述べました。

  2006年、ある元協調人は1年迫害された後、「自分は他人より偉く、もう円満した」と間違って考えました。私たちグループは何度も彼を誘って交流し、師父のこの1年の説法を送りました。彼は自分の間違った悟りを認識して大法の修煉に戻ってきました。

  ある同修は1999年7月20日前に法を得ました。邪悪の迫害の情勢の中で、彼女は修煉をなおざりにし、個人の商売に全力を傾けて徐々に常人のようになりました。ある日、彼女は師父の『棒喝』という経文を拝読して驚き、常人の状態から目覚めて実修に戻りました。彼女はグループ学法に参加し、大法をむさぼるように勉強し、師父の説法を年代順に全部拝読して皆の進度に追いつきました。この同修は設備を購入し、真相資料を作って配り、三退を勧め、また山地の資料点の設立を助けました。

  私たちはお互いにグループの同修の輝く部分を見て、お互いの差を見つけ、内に向けて探し、全体の向上ができました。この13年の修煉を振りかえって見ると、私たちは師父の慈悲なる加護の下で、グループ学法の環境の中で、精進して実修し、多くの人心を取り除いて成熟してきました。心から師父の救い済度に感謝いたします。弟子たちは絶対に師父の苦心な済度に背いてはならず、勇猛邁進し、正法時期の大法弟子という名に恥じないようにします。

  2010年4月22日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/3/6/219318p.html
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/3/23/115528p.html

■関連文章