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法を暗記することによって、私は人間の観念から抜け出すことができた


文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は1999年7月以降に法を得ましたので、個人修煉と正法修煉が重なっていました。修煉を始めた初期から私は面と向かって真相を伝え、法を勉強し、法を暗記しました。法を暗記することによって、私は個人修煉において、しっかりとした基礎を築くことができました。

 しかし、いかに精進しても、結局私は個人の昇華と向上のために修煉していて、旧宇宙の私(し)のためという属性から抜け出していませんでした。すなわち、私は法を勉強し、法を暗記していましたが、本当に法に溶けこんでいませんでした。この問題に気づいたとき、私は自分を変え始めました。

 私は法を暗記することを緩めませんでした。歩くときも、仕事の合間の休憩時間にも暗記しました。そのため、私は何かが起きたら、内に向かって探すことができるようになりました。私を知っている古くからの同修は私にこう教えてくれました。法を暗記することは師父が7.20以前に学習者に出された要求であって、長春では法を暗記するブームが起きていて、とても多くの精進していた学習者はみな法を暗記できた、ということでした。これを聞き、私は自分と旧い学習者との差が分かり、1年後には必ず旧い学習者に追いつこうと、考えました。

 私は『洪吟』から暗記しはじめました。毎朝朝市に行きましたが、ものを買う人に智慧をもって、真相を伝え、ものを買う人がいないときは、正念を発し、法を暗記しました。歩くときも、自転車に乗っているときも、タイトルを見ながら、法を暗記しました。場合によって、良く暗記できたのに、翌日になるとまた忘れてしまい、また新たに暗記しなければならないときもありました。法を暗記するとき、思想業に邪魔されるときもあって、心が静かにならず、意識がはっきりしなかったり、めまいがしたりしましたが、私はやはり心を動揺させず法を暗記し続けました。『洪吟』を暗記し終わったら、主意識が強くなりました。

 法を得たその日から師父の発表された新しい経文について、私は頂いたら、すぐ暗記しました。師父は「これは宇宙が法を正しているのです。この世の現れは巨大な天体が法を正すことに席巻された際の、低次元生命が表した態度に過ぎません。人間は神に対して何ができるのでしょうか? 外的な要素がなければ、人間は神に何ができるのでしょうか? 人類社会での現れは高次元生命の制御によってもたらされたことに過ぎません」(『法を正す中で必要なのは正念であり、人心ではない』)

 この経文を暗記した後、今回の迫害は人間が人間に対する迫害ではなく、ほかの空間の旧勢力、黒い手、及び共産邪霊が人間を操って起こしたと悟りました。法理に対するはっきりとした認識がなければ、邪悪の要素に操られてしまいます。ただ法を多く勉強し、法を暗記し、正念を発する方法だけが邪悪の要素を破ることができます。自分の一つ、一つの考えが正しいか否かを確認し、無条件に自分を探し、自分の問題でなければ、それは必ず邪魔なのです。法を暗記することによって、私はとても多くの法理が分かるようになり、自分の使命と責任、及び衆生を救い済度する緊迫性と重要性を認識できるようになり、正念を発する本当の重要性がわかるようになりました。

 いまも覚えていますが、はじめて交流会に参加したときのことです。同修らはみな無私無我で自分に向けて探していました。私が発言したのは、すべて自分が如何に正念をもって、正しい行いをしたか、1日に何人を脱退させたか、それもいつも決まった場所で、正々堂々とやったかなどなどでした。同修はみな私に比べられないといいましたし、私はうぬぼれていました。交流が終った時、ある同修が私にこうアドバイスをしてくれました。「みなあなたがよくやったといいましたが、魔に隙に乗じられないように気をつけてください。法をもっと多く勉強すべきです」と。家に帰る途中で、私は自分に歓喜心、名利心、自我に執着する心などが生じていることに気づきました。自分のよくできたところだけをみても、それでは修煉はできなくなります。

 師父が弟子のために引き受けてくださったすべてを考えて、私は泣きました。そして、『転法輪』を暗記し始め、更に厳しく自分を要求し、修煉の厳しさについても感じるようになりました。

 こうして私はもっと励んで法を暗記するように自分に要求しました。朝市のとき、物を買うお客がいなければ、私は短い経文を暗記しました。例えば『棒喝』は21日間暗記しました。私は毎日『転法輪』を一講読み、それから一段落ずつ暗記しました。思想業力に邪魔され、辛く感じたり、眠くなったり、また場合によっては、暗記をやめようという考えが浮かんできたりしました。しかし、それは自分ではないとわかっていたため、即時にそれを取り除き、引き続き法を暗記しました。3カ月で私ははじめて『転法輪』を暗記することができました。

 2回目に『転法輪』を暗記するとき、私は功能を運用できるようになりました。例えば、息子のパソコンのスピーカの音がとても大きく、私の修煉を邪魔していましたが、私はそのパソコンが音を出せないようにしました。息子は故障したと思い、店に修理に出そうとしましたが、壊れていないということでお店は受け取ってくれませんでした。息子が店から帰ってきたとき、私はまたパソコンを正常な状態に戻しました。『悟』を暗記するとき、息子のパソコンのスピーカの音量は更に大きくなりました。私は少し怒りました。しかし、すぐ内に向かって探しました。私は神だ、私が怒ったら、スピーカと同じ次元になってしまうではないか、スピーカもまさに神になるのではないか、と思いました。スピーカの音量がいくら高くても、私のエネルギー場の制御のもとで、私は何も聞こえませんでした。私はみごとに依然として1節ずつ暗記することができ、邪魔されませんでした。

 2回目『転法輪』を暗記し終えたとき、大法は私の心に根を下ろし、私は大法に対して、確固たる信念を持つようになりました。

 法を暗記することは修煉の過程であって、名利心、安逸の心、色欲を放下し、また押し付けられた変異した要素を消滅することができました。師父は私に集団学法に参加し、同修と交流するよう按排してくださり、私たちはみな法を暗記し、互いに励ましあい、ともに向上しました。

 交流の中で、私は常に同修が精進していないと発言し、同修のこれもだめ、それもだめだと指摘していることに気づきました。そして、私は自分に問いかけました。あなたは何もかもできるというが、どうして資料作成にいかないのか、それはもっとも神聖な仕事であるのに、なぜ師父の按排された道を歩まないのか? こうして私は修煉の出発点を正し、個人修煉の状態を抜け出すことができました。

 ほどなくして、私は大資料点にいき、『九評』を作りました。毎日朝早く朝市にいき、また売るものを購入しに行かなければなりません。午前9時から学法し、午後には資料を作ります。夜自宅に帰ると時間的にとても厳しく、煉功をする時間がなく、暗記した法を毎日繰り返して暗記しているだけです。現在に至ってもまだ数十篇の経文を暗記できていないし、またすこし眠気が出ています。本性の一面が自分に対して厳しく要求するように教えてくれました。私は12時の正念を発した後、煉功し、懐中電灯で新しい経文をそのタイトルを見ながら暗記しました。暗記するときには、これは宇宙大法である、余計に文字を加えたり、文字を落としたりしない、という一念を加えました。

 私は師を信じ、法を信じています。毎回法を暗記するとき、私は師父の写真の前に跪いて暗記しますが、知らないうちに、法を暗記するときに、タイトルをみなくても、暗記できるようになりました。数十篇の新しい経文、『洪吟』、『洪吟二』はすでに千回以上暗記しましたので、後ろから前へ向けて、流暢に暗記することもできます。

 法を暗記する過程は修煉の過程であり、法に同化する過程でもあります。大法は毎日私をきれいに洗っており、私は毎日法に同化していて、現在私は実際の年齢より10歳若いと言われています。私が商売をしているため、私と面識のある人は多くいます。彼らは私をこの世で最もよい人だと言っています。どこに行っても、私は力を尽くして、大法を実証しています。執着を修め、欲望をなくすと、家庭は睦まじくなりました。私はこれからも自分に対して厳しく要求し、常に大法の光の中にいたいと思います。

 以上、不適切なところについて、同修らの慈悲なるご叱正をお願いします。

 2010年4月23日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/4/16/221639.html

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