■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/04/23/mh253471.html 



法を念頭に置けば 師父がいつも加護してくださる(一)

文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は1995年に修煉し始めた大法弟子であり、14年の修煉を経て、平和な時も迫害が起きた後も、大法への疑いは一度もありません。以下に、私の修煉体験を書いて、師父と同修に報告いたします。

 一、念が法に基づいていれば、邪悪は存在できない

 1999年から2002年の間、私は留置場から家に戻って、家族は私を心配するあまり私を軟禁しました。姑は私がいない時に『転法輪』を破りました。私は泣きながら一枚一枚補修して、姑ははたきを使って私を敲き、羽毛が飛んでいても私を相変わらず手放しませんでした。隣近所の人がやって来てやめるように説得しましたが、主人はどうしようもなくナイフで自分の腕を刺しました。血が流れるのを見て姑がやっと止めました。主人と病院に行って、数針を縫いました。翌日、私の腕や足のあちこちに紫の鬱血が表れ、一カ月間お風呂に入れませんでしたが、痛みはありませんでした。

 これで収まったわけではありませんでした。姑と主人はいつも私に説教して、大法や師父、私の母(同じく修煉者)を罵りました。私は当時、発正念する時にも怨恨の心を持って、内に向かって探さず、真相伝えることさえせず、黙々と煉功・学法だけをしました。この状態が長く続いて、焦っていました。ある日、親子が再び私のことを説教していた時、急に師父の経文『棒喝』のことを思いましたました。「家族が迫害の中で拘束され、迫害されているにもかかわらず、あなたは皆さんと一緒に早く迫害に反対し、迫害を制止し、家族が受けた迫害を軽減するなどのことをせず、家で法を勉強すべきだと言って、学習者が行ったことに不平不満だらけです。あなたの家族が拘束中、受けた迫害が軽くなったり、または止まったりしたのは、大法弟子が邪悪と危険を顧みず、迫害に反対する中で、邪悪を暴露し、制止したからだということを知っていますか? 家族が釈放されたら、あなたは彼らに会わせる顔があるのでしょうか? 彼らのためにあなたは何をしたのでしょうか?」そこで私は厳粛に大きな声で話しました。「江沢民が嫉妬のためこの迫害を起こしたせいで、無数の家族が離れ離れになりました。法輪功を修煉して良い人になっることは間違っていません。将来、法輪功が再び認められて、あなた達は私に会わせる顔があるのでしょうか?」二人はここまで聞いて、私からこのような言葉が出るとは思わず、みな愕然としました。やがて二人はともに笑いました。それから二度と、私を説教することはありませんでした。後々、私が肝心な時に師父の法を思い出して、大法が親子の後ろに操っている邪悪を解体したのだと悟りました。

 それから、私は同修と一緒にいろいろな方面から真相を伝えて、もともと党校に勤めていた主人と、性格の悪い姑はだいぶ変わりました。ある日、主人は声明書(自分が大法に対して取った良くない行為を後悔する内容)を書いて、姑の名前も綴って、私の見やすいところに置きました。私は姑に読んであげて、姑はうなづきました。大法の力が二人を変えました。

 それから、我が家は晴れ晴れとして、佛光が普く照らし、礼儀圓明となりました。そして、我が家にも家庭資料拠点を作って、時には親子に大法を聞かせ、「法輪大法は素晴らしい」と念じさせるうちに、体の弱かった姑も元気になりました。数年後、兄弟の夫婦および親族は皆三退をしました。真相伝えは万能な鍵で、同時に内に向かって探し、いつも法を念頭に置けば、良い家庭環境を作ることができると悟りました。

 2002年後半のある日、、突然男3人女1人の警察官が私の幼稚園にやって来て、ある大法弟子の教員を連行しました。私は出て、彼女は授業中なので連れ去られたら子供たちはどうするの? と詰問しました。警官らはひたすら車中に彼女を押し込み、私は続けて聞きました。「あなた達は人を連れていける何か証拠があるの?」警官はポケットから一枚の紙を出して、さっと見せてすぐに車に乗って去りました。同修はガラス越しに、電話をする仕草をしました。そこで、私はさっそく同修に知らせて発正念し、その同修のかばんを確保して、家族に電話して家の書物を保管するように言いました。一通り終わったところで、警官らが戻って来て、連行された同修のかばんを探しに来ました。かばんと同修の鍵を探してもみつからなかったため、警官らは私を掴んで外に連れ出そうとし、引っ張りながら「かばんを出さないと、おまえも連れて行くぞ」と脅かしました。私は怖がらず、師父の法を思い出して、「たとえどのような環境にあっても、邪悪の要求や命令、指図には従わないでください。」(『精進要旨二』「大法弟子の正念は威力あるものである」)と思ったとたんに、邪悪の警官らは突然、引っ張る力が足り、自ら後退しました。私は外まで出て、「もう来ないでね、こちらは歓迎しませんよ」と大きな声で言いました。

 (続く)

 2010年4月23日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/4/3/220910.html

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