協調ができた時、できない時
文/中国の大法弟子
(明慧日本)同修の甲さんが隣町で真相伝える時に警官に捕まり、隣町の同修は甲さんのため弁護士に依頼して無罪の弁護をしようとしました。その町の同修達は我が市の協調人に連絡して、皆が開廷時間に発正念をし、同修が一体となり甲さんのために妨害する邪悪の要素を一掃すると同時に弁護士の無罪弁護を通じて更なる人が真相を知り、救われるように発正念をしようと話しました。
話を聞いて協調人がすぐに他の同修と相談して、甲さんを救出するために発正念をする内容をプリントアップして、同修に配りました。我が地区では皆毎晩7、8,9,10時に発正念をし、一斉に甲さんを迫害する邪悪を一掃しました。その時皆は心が静かになり、エネルギーもとても強かったと感じました。ある天目が見える人の話によると、「皆の功は最初にカラーのリボンのようで、のちに巨大な光のボールになり、甲同修を監禁する留置場と法廷の邪悪の要素を綺麗に掃除しました」
数日後に隣町の同修が話を伝えてきました。「甲さんの為に弁護した弁護士は法廷で見事に弁護しました。甲さん個人も皆の発した正念を感じたと言っています。しかし、邪悪は失敗をしたくないと、来月新たに開廷すると決めました」
次の開廷日になる前、協調人は再び同修を招集して前回に続いて、毎晩7、8,9,10時の発正念以外に全地球の4つの正時発正念の後に5分間を延長して専ら甲同修を迫害する一切の邪悪の要素を一掃しようとしました。
しかし、一部の同修は協調人の決定に異を唱えました。「隣町に監禁されている同修ばかりに発正念して、なぜ現地の同修のためにしないの? これは差別の心ではありませんか」 「また、全地球の4つの正時発正念を5分伸ばすのは、甲さんを余り重く見すぎているのではありませんか? 同修が迫害されているのは皆同じ態度で救出するべきです。また私たちは現地の邪悪を駆除しながら隣町の邪悪をも一掃しようとしており、この功は一体どこまで行けばよいのでしょうか? これではばらばらになるではありませんか・・・」といろいろ協調人に対する色々な念をこめて、発言しました。心から全体が一つにならず、発正念時にも集中しなくなり、強大な正念になりませんでした。
結局、数日後の隣町の開廷は、「前回弁護してくれた2人の弁護士は、1人が開廷前に連行され、もう1人はプレッシャーを感じて甲さんの弁護もはっきりとしませんでした。しかも一部のところは反対に弁護して、邪悪の立場になりました」と伝えられてきました。2回の弁護の結果を聞いて、皆びっくりして、深く教訓を受けました。
発正念は皆の心が一体になるかどうかが肝要です。なぜ初回目の発正念の時に、弁護士の表現と被害の同修の状態があんなによかったのでしょうか? やはり大法弟子が発正念の時に個人的な観念を持たず、全体の意識が強く、自我を堅持せず互いに協力し合ったため、発した功も威力があったのです。弁護士や法廷はみな大法弟子のために存在しているのです。大法弟子の心性が高ければ、法理が明晰になり威力も強く、邪悪も解体されるのです。
2回目の発正念はなぜ効果が悪かったのでしょうか? 私たちの内部に乱れがあり、協調人の決定内容について議論し、指摘して、協調人の不足をみて黙々と圓容しませんでした。同修の中には不満を発して、自己主張をして自分の為に弁解しました。たとえ自分が正しいとしてもどうなるのでしょうか? 神々は物事の表面を見ないで、あなたがこの事に対して自我を放下するかどうかを見ています。あなたが黙々と圓容して、他人のために考え、真に無私無我になり、新宇宙の生命の要求に達したかどうかを見ています。一念の差で、新旧宇宙の表れが違います。これからは、発正念だろうが、大法の他のプロジェクトだろうが、皆が無条件に自我を放下して、強大な全体になるために成長しましょう。
不足のところは指摘をしてください。
2010年4月27日
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/4/21/221889.html)
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