法の要求に従って 初めて法を実証できる
文/中国の大法弟子
(明慧日本)私が偶然に出会ったある大法弟子の情況はよくありませんでした。表面上では雪が降って道で滑って転び、手を骨折しました。彼女の正念は強かったのですが、2ヶ月経ってもよくなりませんでした。彼女の言うことには、「同修が私のために発正念をしてない」と責めているのを見て、私は深く自分を責めました。私はどのように旧勢力に迫害されている同修を助ければよいでしょうか? 彼らも法を学んで、同じく発正念をしているのに、どうして役に立たないでしょうか?
これは私に『明慧週刊』に載っている同修の言葉を思い出させました。「私達が旧勢力を否定するのに、どんな基点に立ってするのか、どの次元で否定するのか。もし自分が迫害されないため、自分の安逸のため、邪魔をされずに事をするため、体の健康を求めるためなどであれば、否定することができますか? 否定する目的が私(し)のためであれば、同じく旧宇宙の生命、古い道理はお互いに制約作用がなく、旧勢力が存在する理由があります。この大法弟子が師父の要求に符合しないのを見てください。彼はとても利己的で、この試練を按排するのは正しく、合理的です。返って、もし私達が本当に他人を思う角度で、本当に人を救うためであれば、すべての妨害を否定することができます。人を救うことが自発的な願望で、利己的な目的でなければ、これで初めて即刻すべての妨害を否定することができます。大法がすべてを制約するため、大法は本当に善良な生命が迫害されることを許さず、師父は、邪悪が大法弟子の人を救う使命を完成するのを邪魔することを許しません」
私達は正法時期の大法弟子で、古い道理に符合して、どこが隙に乗じられたのでしょうか? 師父は「法を学びて法を得る 比して学び比して修す 事々対照し 做すところ到るは是れ修なり」(『洪吟』「実修」)とおっしゃっています。毎日法を学んで、本当に法を得たのか、自分がいる環境の中で、大法で自分の行為を照らし、基準に合うかどうか評価するのです。
自分が生活している環境の中で、どれだけの行為が法の基準に符合するのか、修煉者らしくして初めて、あなたが大法を実証することができます。師父は「平素から慈悲の心と、穏やかな心理状態を保たなければなりません。そうすれば、何か問題が突然現われた時に、それに正しく対処することができます」(『転法輪』)とおっしゃっています。
私達はこの環境を利用して修煉するため、一人一人の環境が違い、一人一人の修煉の道が違い、責めず憎まず、覚者の風格ですべての衆生(物質すべてが生命であるため)に対応します。返って、いつも他人が自分の手足を引っ張っていると思い、他人のせいにし、自分を常人と混同します。しかし、大法弟子である自分は、常人の中にいて、必死に頑張り、とても苦しくて疲れます。これではあまりに自分を強調し、たとえ大法を実証するにしても、自己を実証しているのです。なぜならば、あなたが身の回りの常人に行動で大法の偉大さ、すばらしさ、「他人が先で自分が後」であることが現れていないからです。常人は彼の基準で私達を評価しています。私達は大法の一粒子で、よく行えなければ大法に負の影響をもたらします。私達が衆生を救い済度しているのかそれとも衆生を駄目にするのか? あなたが自分を大法弟子と称しているため、私達の一つの行動、一つの目つきがすべて大法を代表していることを意識するべきです。
私達は毎日真相を伝え、衆生を救い済度しています。自分をよく修めることは、実際の行動で衆生を救い済度し、発正念も衆生を救い済度することだと思います。私達は師父の「物質と精神は同一のものです」(『転法輪』)という言葉を信じています。なぜなら私達が発している正念は、慈悲の場を持っており、私達の肉眼で見えず、想像できない計り知れない衆生を済度することができるからです。
私達が本当にやり遂げて、本当に師父が説かれたこの法を信じれば、この次元の法理が自分に現れるすばらしさを体験することができます。本当にやり遂げたものは、真の現れです。やっている中で、慈悲の心で大法を実証し、衆生を救い済度するのは、善の現れです。忍の中で善を昇華し、必ず捨てることをやり遂げて、常人の執着を切り捨て、それによって心性の昇華を得るのです。師父は『精進要旨』の「圓容」の中でこうおっしゃっています。「忍の中に捨てることがありますが、捨て尽くすことこそ、漏らすことの無い更に高い法理です」『精進要旨』の「漏れるところ無し」では「忍の中に捨があり、捨てることができるのは修煉の昇華です」とおっしゃいました。
私達の身の回りの衆生の誰が健康と美しいものを考えないのでしょうか。私達が自分の実際の行動で大法のすばらしさと慈悲の情報を彼らに伝えたとき、彼らはきっと大法に感謝し、法輪功を始めます。それはつまり新しい未来です。
私とこの同修がここまで切磋琢磨した時、彼女は自分の人心があまりに重いと悟りました。そして彼女が以前した事はすべて人心で図った事だと気付きました。夫に対する世話、家庭のむつまじさも常人の立場からのものでした。そこで彼女は夫の手を握り、涙を流して言いました。「今後私は必ずあなたに対してもっと良くつくします! 大法弟子の基準で自分を図ります」 夫は違う目で彼女を見ていましたが、とても感動して、彼女が言ったことを必ず実行するように願いました。
以上は、私が同修を助けた体得です。体得を書いて、苦しい難にある同修がいつでも、どこでも内に向って探し、法の基準に符合したとき、初めて邪悪の邪魔から抜け出すことができます。早く自分を正すことを望みます!
2010年4月29日
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/4/21/221925.html)
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