修煉の道を歩む(二)
文/中国の大法弟子
(明慧日本)数日後、2人の同修(姉妹)が我が家の学法グループに参加することになりました。その姉妹の話で初めて分かったのですが、解散した学法グループは、私が参加したことで解散したというのです。この話を聞いて私はほかの学法グループにも参加すべきではないと思いましたが、心の底では、みなが臆病者だと見下しました。私はその姉妹に、甲さんに我が家に来てほしいと、伝言を依頼しました。後日、甲さんが来ました。私は甲さんに「私は今後そちらの学法グループに参加しないので、学法グループを元に戻してください。これは、師父が私たちに残してくださった方式なので、あなたの家で学法すると言うことは、あなたにとって名誉なことです」と話しました。
甲さんに話していたとき、私は高い境地に立って話していたと満足していました。甲さんの学法グループは再スタートしたのですが、私の参加を拒んでいました。これで私に、悔しい心、嫉妬心などが現れ、自尊心が傷つきました。私は心中、迫害がもっとも厳しいときに、みなが恐怖心によってやりたくないことを、私がすべてやってきたではないか? 私の協力で学法グループを立ち上げたのに、私を学法グループから外し、以前はみなが何か問題があると、私を訪ねて相談し、私は一度も拒んだことはありませんでした。この思いが3〜4年続き、私の前で学法グループの話さえもできなくなっていました。その話を耳にすると涙が止まらず、同修を許そうとしなかったのです。同修は私が内に向けて探すべきだと勧めてくれますが、私は執着心の根本を見つけていないふりをしていました。実際のところ、私は顕示心、名利心、自己を実証する心を暴きだすことを恐れていました。皆に知られれば、面子がないと思ったからです。
この期間中、私の目が邪悪の迫害により見えない状態に陥りました。あるとき、私の身体の震えが止まらず、細胞まで震えているように感じ、座ることもできない状態で、舌が回らないようになり、目も動かなくなりました。そのとき、私は横になれば二度と起き上がれないのではないかと思いました。私は旧勢力の妨害を否定し、発正念をしていましたが、あまり良くなりませんでした。私は目の前に置いてあった『転法輪』を手に、師父の写真があるページを開くと、一筋の光が私の身体を照らし、その瞬間、私の身体に現れた病業が消えました。私は学法を続けようとしましたが、『転法輪』を正面にして文字がよく見えなかったので、私は目じりで読むようにしました。私は妨害を認めず、発正念を続けました。そして、夜になって真相を伝えに出かけるときは、目もはっきりと見えるようになりました。私は心の中で、今日の出来事は真実ではなかったのですねと師父に言いました。
しかし、私は同修を怨む心が放下できなかったのです。私の魔難の原因は同修によってもたされたと思い、同修に出会うと遮る心が作用し、話す言葉も同修が気に障るような内容を帯びていました。ある日、私は法会に参加した後の帰り道で、ある同修にこの数年来、悔しかったことを話しました。その日の晩、数人の同修が我が家に来てくれました。そして、この数年来に私の状態をもたらした原因について交流しました。同修の助けによって、私には以前認識し、言い出せなかった執着心を公にしたことによって、自分を縛り付けていた何かが解され、心も晴れやかになりました。
甲さんを怨む心は自分ではないということも認識できました。心の中で怨む心は、私ではない、もういりませんと師父に語りかけました。師父が私と甲さんをすぐ会わせてくださいました。私は穏やかな気持ちで甲さんに謝りました。
私は修煉の道において、時には転びながら歩んできました。特に、同修との隔たりをもって、多くの貴重な時間を無駄にしました。今後、私は残された正法の時間の中で、学法をさらに努力し、「三つのこと」をしっかりと行い、真相を伝え衆生を救い、この数年来無駄にした時間を取り戻し、歴史上の師父との誓いを果たします。師父の慈悲なる済度に背いてはならず、衆生を失望させてはなりません。
(完)
2010年5月2日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/4/13/221473.html)
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