日本明慧
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衆生を救い済度することが第一(三)

(明慧日本)ある日、隣の都市の同修が資料を欲しいと言うので、私は準備して翌日送ってあげようとしました。当日夜、私の隣の家に住むお婆さんが、我が家の冷蔵庫に預けてある豚肉を取りに来ました。私は自分の分も出して、選んでもらいました。両家の買った肉があまりにも似ているので、お婆さんは二つとも持って帰りました。私は、「お年寄りなので、自分の分もあげよう」と思いました。まもなく隣の家から罵声が聞こえ、私が彼女の豚肉をたくさん食べたと言い、次第に声が大きくなり、夜中3時にお婆さんはまた我が家に来て罵ってきました。私は娘さんを呼んで、お婆さんを連れて帰らせました。この事件は邪悪が妨害していると分かったので、心が動じないようにして、資料を送ることを絶対にあきらめませんでした。おばあさんが「あなたは良い人ですね、ずっとあなたを罵倒して、申し訳ありませんでした」と言いました。

 全体の協調の中で向上する

 2002年、私の地区の数箇所の資料拠点が破壊されて、同修達は不法に監禁、労働教養されました。当時は資料が足りなくて、全て流浪生活している同修達が他地区から運んでくれました。同修は私に、各地に配達するよう按排しました。全くしたことがない事ですが、師父のご加持の下で徐々にこの仕事を上手くできるようになりました。コピー機を買って、チラシの印刷ができるようになりました。やっと同修に助けられて、我が地区にも資料拠点を作りました。大法の書籍、週刊、週報、小冊子、『九評』などいろいろな資料を作って、同修の需要に応えました。今のところは資料拠点、学法グループがあちこちにあります。周りの都市の資料拠点が破壊されたので、こちらから補充して、機械、用紙等を送って資料拠点を建て直しました。

 資料関係の協調をしただけですが、次第に我が地区が全体的に向上しました。当時、私は資料の協調をしており、同修から指摘されて、私は心性を向上しなければならない、全体のために今のままではいけないと悟りました。

 まず、各資料拠点の責任者を招集して、皆が毎週一回交流するようにしました。最初は、表面上の形だけなどの指摘がありました。この観念をたえず正して、学法をして、法を師にするようにしました。貴重な毎週の交流を十分にして、学法、発正念しています。大体2時間、学法をして『明慧週刊』の法理の交流文を2篇くらい交流します。さらに、三つのことについて、全体的に存在する問題や、個人の問題、同修の救出などについて法理上で交流します。皆が知恵を出し合って向上します。安全のために毎回の交流は場所、時間を固定せず、その都度連絡します。次第に法を師にして、互いに協調し合い、全体になり威力も大きくなりました。そして、同修の救出についていろいろ経験を模索しました。

 皆が協力し合って、師父に言われた三つのことを積極的に行い、いろいろな方法で衆生を救い済度して、すればするほど環境も改善しました。我が地区で、真相の内容を印刷した紙幣が皆に受け入れられています。ある老年の同修は、銀行からもらった給料も真相が書かれた紙幣でした。師父の新しい経文を勉強して、環境が良くなっている現在も油断してはならない、自分の修煉を怠ってはならないと分かりました。内に向かって探し、いつも衆生を救い済度することを第一にしなければなりません。

 (完)

 2010年5月3日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/4/25/222068.html

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