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法をしっかり勉強してこそ、法を実証することができる


文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は1997年12月に法輪功の修煉を始めました。すでに12年近く経ちましたが、悟性がすぐれず、いろんな方面において、大法の要求にとても差があります。今日まで歩んでこられたのは、すべて師父の心がこもった加護によるものだと思います。いままで修煉してきて、最も大きな体験といえば、それは必ず法をしっかり勉強しなければならないということです。

 実際法をしっかり勉強することについて、師父は毎回の交流会で、またどの経文でも、法をしっかり勉強しなさい、必ず法をしっかり勉強しないといけない、と私たちに教えてくださいました。ですから、私自身も法をしっかり勉強する重要性は知っており、同修と交流するときも常に必ず法をしっかり勉強しないといけない、という言葉を口にしています。しかし、それはただ感性的な認識に止まっていて、私が理性的に認識することができたのは、私が『転法輪』を暗記し始めてからでした。

  一、学法するとき、必ず主意識をはっきりさせ、本当に自分自身が法を学ばないといけません

 2005年の明慧ネットには同修が『転法輪』を暗記した体験が大量に掲載されました。その文章を読み、私はとても感動しました。そして、私に『転法輪』を暗記したいという念が浮かんできました。実際、1998年に私は暗記を始めたことがありますが、悔しいことに『転法輪』を暗記する重要性について認識できず、また邪魔を取り除くことができず、2ページを暗記してやめました。

 常人の中で私は学問がある人間で、しかも1998年の1年間に私は『転法輪』を1200回読んで、どんな内容がどのページのどこにあるか、はっきりと覚えていました。しかし、『転法輪』を暗記しはじめたとき、予想どおりに、楽に暗記はできないことに気づきました。そもそも『転法輪』の内容はとてもよく分かっていましたが、暗記するととても分かっていないような気がしました。一部の段落については、いかに暗記しようとしても暗記できず、暗記できなければできないほど、ますますいらいらしてきました。毎回この時、私は正念で自分の思想業力と邪魔の要素を取り除くか、あるいは、てきぱき引き続き暗記しました。こうして、一段落、一段落ずつ暗記して、8カ月で1回『転法輪』を暗記することができました。それから『転法輪』を2回目、3回目と暗記しました。

 法を暗記する過程は、自分が法に溶かされ、法に同化する過程でした。法を暗記する過程で、自分の一部の思想業力、および邪魔の要素がすこしずつ取り除かれ、自分の主意識がはっきりするようになり、本性も絶えず蘇りました。

 法を暗記する過程のなかで、私はすこしずつ自分の変化に気づきました。まずは学法する過程で、1999年以前に私は内心から集団学法に参加したくありませんでした。なぜなら、私は自分が読む時、まるで本当の自分が読んでないと感じ、一文字も落とさず読んでも、何かに制御されているようで、その効果は自分ひとりで、自宅で読むことに及びませんでした。しかし、集団学法は師父の説かれた法であったため、参加しなければならず、参加するしかありませんでした。法を暗記してから、私は集団学法の時、読んだ文字がすべて私の頭の中に入ってきました。そして、本当に「精神を集中して勉強し、本当に自分が勉強するようにしなければなりません」(『オーストラリア法会へ』)という境地に達することができました。

 自分ひとりで法を勉強するときも同じでした。以前は自分ひとりで学法するとき、何かがあって学法をやめると、しおりがないとどこまで読んだか分かりませんでした。しかし現在は自分が本当に学法しているため、どこまで読んだか、はっきり分かっています。例えば、CD−ROMを焼く必要があるとき、常に焼き終わったCD-ROMを取り出し、新しいのをドライブに入れないといけないため、学法を中断しないといけません。しかし、入れ替えが終ったら、自分の主意識は自分がどこまで読んだかはっきりと覚えています。

 以前はささやかなことで家族を怒ったりして、あとで自分でも後悔していましたが、その次になるとまた怒ってしまい、また後悔するような、絶え間ない繰り返しで、とても苦しく感じていました。しかし、ある日、私は自分を押さえることができ、怒らないようになりました。

  二、系統的に法を勉強する

 師父は『長春輔導員法会での説法』の中で、「皆さんの多くは法の勉強が不十分です。不十分の原因は、皆さんが法を勉強していないのではなく、勉強の量が少ないのでもなく、常人の観念を抱きながら勉強していることです。あなたの心が求めたものと一致した内容を選んで、それが良いと思って、それだけを読むのです。あなたの要求に合っていないような内容、あなたと関係なく、ひいてはあなたの観念と一致していない内容を読まず、選んで読んでいるのであれば、修煉して永遠に向上することができません。『転法輪』の中に書いた内容は皆さんの修煉、心性と関係のないように見えますが、その中に異なる次元、異なる形式のものが含まれています。私が功について話していますが、実はあなたに教えますが、中に心性上のものも含まれています」と説かれました。

 1999年7.20後、私は1999年以前の師父の説法をあまり読んでいませんでした。その時の法はすべて私たちに法を広めるよう説かれていると思いました。今年の春、私は師父のすべての説法をダウンロードする際に、『すべての大法書籍のWORDファイルをダウンロードすることについての説明』を目にしましたので、この順序通りに、自分の電子ブックを整理しようと思いました。整理し終わった後、突然この順序通り、師父の説法をすべて一回読もうと思うようになりました。

 『法輪功』(修訂本)を読む時、私は自分でも非常に驚きました。自分はすでに十数年間修煉してきましたが、なんと修煉初期に修めないといけないことについてさえはっきりと分かっていなかったからです。最も簡単な例として、師父は『法輪功』(修訂本)の中で、「嫉妬心のある人は人を軽蔑し」(第三章 心性を修める)と説かれていました。以前私は嫉妬心が非常に強く、修煉してからだんだん少なくなりました。心の中でそれほどバランスの取れないこともなくなり、あまりそこに注意していませんでした。しかし、師父の説法を読み、自分の嫉妬心がまだ大きいことに気づきました。なぜなら、普段は同修が法に則っていない言動に気づき、同修らを見くびり、その同修がどんなに良く修煉できていないかと言っていました。そのとき、ただ外に向かって探し、同修の足りないところだけを見ていて、自分の足りないところを探すことなど忘れていました。ですから、師父の要求される洪大な寛容を持つこともできていませんでした。

 こうして師父のすべての説法を一通り読み終えたとき、私は自分が修煉において、すこし悟るようになったような気がしてきました。しかし、まだまだ足りないと感じ、そして2回目を読み始めました。その時、やっと修煉において、もう少しわかるようになりました。トラブルがあったら、すぐ師父がどう説法されたか、法の要求とは何かを思い出し、師父の要求通り、行うことができました。以前のように、一方的な理解をして、師父のある説法、或いはある一語を掴んで、同修と争わないようになりました。

  三、法をしっかり勉強してこそ、本当に法を実証することができる

 言い出すと同修らに笑われるかも知れませんが、以前ある同修が私にこう質問したことがあります。法を実証するとは何か、と。実際当時私は自分でもはっきり分かっていませんでした。私はただその同修に、師父の要求された三つのことを行うことこそ、法を実証することだと答えました。もちろん、答えは間違っていません。しかし、自分は本当に法に基づいて、このことについて認識することができておらず、そしてしっかり法を実証することもできておらず、三つのことをしっかり行うこともできていませんでした。

 実際、私たちは法を本当にしっかり勉強して、私たちが行っているすべてのことに対する法の要求が分かってから、法の要求に到達するために、努力することができ、そして本当に法を実証することができます。さもなければ、私(し)のため、我(わ)のためという目的を抱いていては、例え私たちが非常に努力して三つのことを行っていたとしても、それはただ自分を実証している可能性が高く、法を実証することにはならないのです。

 以上、足りないところについては、同修の慈悲なる叱正をお願いします。

  2010年5月5日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/4/20/221807.html

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