■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/05/07/mh080729.html 



夫婦間でトラブルがあったら、両者とも自分を修めるべし

文/中国の大法弟子

(明慧日本)以前大法弟子が家庭生活の中で、一方が修煉してない場合は、常に大きな善と大きな忍をもって大法を実証し、相手に大法の美しさを現した、という多くの文章を読んだことがあります。大法弟子は常人と接する際にも、大法弟子の基準で自分に要求し、多くの場合、名利に淡白で、人と争わず、苦労をいといません。しかし、夫婦とも修煉者の場合、家庭のことをうまく処理することができず、これほど長く修煉したのに、トラブルが絶えず、争いが絶えず、ひいてはトラブルが非常に激化している家庭もあります。ここではみなさんとこの問題について交流したいと思います。

 同修よ、あなたは相手を同修とみなしたのでしょうか? あなたは自分自身を大法弟子と見なしたでしょうか? 常人と接触する中で、うまく処理できることが、自分の身内に発生したら、うまく処理することができません。一部の女性の同修はなんとしても自分の夫をコントロールしようとし、何もかも自分の意志通り行い、法に対する自分の理解をもって、自分の夫に要求しています。また一部の夫は妻の束縛に反感を覚え、「あなたは常に自分の基準で私を照らしている」といいます。また一部の夫は妻の前で、常人の時に養った習慣を少しも変えず、口を開くと罵り、手を上げて殴ります。同修よ、私は誰が正しく、誰が間違ったかを責めたくありません。私たちが修煉することは本当に生易しいことではなく、邪悪の邪魔がある中で、師父は私たちを連れて今日まで歩んでこられました。師父は夫婦間の縁について語られたことがありますが、どうして相手に対して親切にすることができず、自分をきちんと修めることができないのでしょうか?

 トラブルが発生したとき、あなたのそのトラブルは、実際はあなたの心に向かってきたことであると、考えたことがあるでしょうか?

 夫婦の同修間に普遍的に存在する問題として、他人がいるときはとても穏やかで、大法の仕事も積極的に行います。しかし、妻と夫が2人だけになると、様子が変わります。常に相手の弱点をつかみ出し、話す態度も変わります。この点は私を含めてみなそうです。私が思うには、他人の前で現れたものは偽りのもので、装っており、修めたものではないと思います。家族の前で現れた様子こそ、心性の真実の現れです。家庭環境も修煉の環境であるのに、どうしてその中で、自分を修めないのでしょうか?

 もう一つの角度から言うと、あなたが家族と争うとき、これはあなたが乗り越えるべき関であり、あなたに修めるべき心があるから現れたということを考えたことがあるでしょうか。同修よ、トラブルの中で、内に向かって探し、後ろに一歩引き下がれば天地は広々となります。あまり自分を強調しないでください。あなたが正しかったか、間違ったか、ということは問題ではありません。私たちはみな大法弟子であるため、法に基づいて、向上すべきです。

 もう一点、同修にアドバイスしたいのは、旧勢力の罠にはまらないでほしいということです。旧勢力は他でもなく、あなたを台無しにさせようと企み、方法をつくしてあなたを下へ引っ張ります。もし、あなたがこの点を見抜くことができなければ、執着を放下することができなくなります。早くトラブルから抜け出してください。互いに傷つけないでください。早く誤解をなくし、間隔をなくし、共に向上し、堅固な一体になりましょう。私たちは大法の弟子であるため、これは私たちの責任であり、衆生を救い済度する使命を背負っており、真理を守るために命も捨てることができるはずなのに、どうして執着を捨てることができないのでしょうか。

 この文章を書いた目的は少しでも同修の力になりたいと思ったからです。適切でない箇所については同修らの慈悲な叱正を願います。

  2010年5月7日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/4/27/222314.html

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