師と法を信じるということは、言葉だけでなく真に信じること 文/中国寧夏の大法弟子
(明慧日本)私は2009年5月20日、迫害の真相資料を貼り付けていたところ、真相を知らない一般市民に通報された。私はその人らに真相を伝えましたが、落ちつかない心理状態で正念が足りなかったのです。私は「610弁公室」まで強制連行された後、心の落ち着きを取り戻し、1念だけが脳裏に過ぎりました。それは、邪悪の要求に写真を撮らせない、尋問などに協力しないことでした。「610弁公室」の役人らは、我が家に来て不法に家宅捜査を行い、師父の写真と大法書籍を没収した。修煉しない誓約書に署名するよう強要された。私は「法輪大法が素晴らしい、『真善忍』も素晴らしい、私が間違っているのではなく、政府が間違っている、あなたたちが間違っている、署名しないから、あなたたちは苦労して尋問しても無駄だよ」と話した。悪人らは師父の写真を地面に投げつけ、私は両手で写真を拾うと、彼らが足で私の両手を踏みつぶし、ライターの火で焼付け、「署名するなら、火を止めてやる」と署名を強要したのです。私は彼らに「このような悪事を働くのは、あなたらにとって決していいことにならない」と忠告した。彼らは「署名しないのなら、数年投獄されればいい」と脅迫した。私は「あなたらが決める権利はなく、決めるのは私の師父である」と話すと、彼らは狂ったように「どうなるかが楽しみだ」と叫んだ。
私は休まずに発正念し続け、身体が暖かくなり法に溶け合い、心の中ではとても平然としていて、穏やかで慈悲な状態を体験したのです。翌日、留置場に拘留されようとしたが、健康状態を検査した際、不合格となり収容を拒否された。このように私は師父のご加護の下で、家に戻ることができました。
今回のできことを振り返って見ますと、なぜ自分に隙があり、正念が足りなかったのか?人が叫ぶと、恐怖心が現れ逃げたくなったのです。この心はいけないと分かっていても、強大な正念をもって邪悪、またはその人の背後にある邪悪要素を取り除き、警察への通報が許されるものではないとしなかったのです。そのとき正念をもって、正々堂々と集まった衆生及び「610弁公室」の役人らに真相を伝えさえすれば、強制連行されるということは発生しなかったと思います。自分の恐怖心、気がかりな心、面子を重んじる心などの執着心によって、邪悪に隙に乗じられ、衆生が大法に対して罪を犯した結果となり、私の心は痛むのです。自分の不足を探した結果、入念に学法していなかったこと、「三つのこと」が師父の要求基準に達していなかったこと、自分に対する要求を緩ましたこと、真相を伝えも、相手が理解されるまで伝えていないようで、そのため親戚や友人らは「三退」する人が少なかったのです。
私は法を暗記し、内に向かって探したことで法理が以前より理解出来るようになりました。理知をもって自分がすべきことができるようになり、法の基点に立って、着実に自分を修煉することができるようになりました。師と法を信じるということは、口で言うだけでなく、実践の中で、トラブルの中で、関門や魔難の中で、大法の要求した通りに行ったかどうか、心性を守れたかどうかが、即ち師と法を真に信じていたかどうかに現れるのです。これは私のレベルでの体得です。師の恩は報いきれるほどのものではありません。唯一精進して実修し、内に向いて探すことこそ、幾重の観念と障害を突き破ることができ、自己を放下することができれば、『真、善、忍』に同化することができ、より多くの衆生を救うことができるのです。
私の家族は「文化大革命」のとき、中共(中国共産党)に迫害され、私は少年の時代に回りから差別され、生活が無援と圧力の中で必死と頑張っていました。その中で人生に対して悲観となり、だんだんと無口となり、内向的な性格となりました。ストレスにより身体を壊し、肝炎、胆のう炎、五十肩、偏頭痛、季節性過敏症などを患っていました。病気で性格も悪くなり、僅かなことで、自分の気に障るようなことになると、家族と喧嘩になって、生きていくことは辛くなり、家出をしてこの世から立ち去ろうとしました。このような日々の中で、私の唯一な楽しみは読書でした。
99年4月に『転法輪』という一書と出会いました。私は一気に読み通し、とても素晴らしく感じ、私の人生の中で分からなかったことが分かるようになりました。そして煉功場所を探し出して、それから修煉を始めたのです。学法して行く内に、知らず知らずのうちに自分が生まれ変わったように感じ、心が広くなり、生きる目的を見つけ、それは「返本帰真」であり、生きるのも楽しくなりました。以後『真、善、忍』に基づいて、自分の行動や言行を厳しく律し、慈悲で偉大なる師父が私の思想と身体を浄化してくださり、私に新しい生命を与えてくださいました。師父のご加護の下で今日まで歩みました
10年の風雨の中で自分を練磨し、挫折しては立ち上がることができました。限りのない大法の導の下で、自分の一つの一つの思惟を正に帰し、大法に対する信念を揺るぎないものとし、純正なる思想を持って、残された日々の中で衆生を救い、われわれが歴史上誓ったこと「衆生を救う」を果たしましょう。
2010年5月15日
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/5/6/222938.html)
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