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性格、習慣、職業により形成された強大な執着を取り除く


文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は1993年から修煉をしてきた古い大法弟子です。ほかの方々の修煉の道とは違い、経歴にも大きな差があります。しかし全く未熟なところから成熟するまで歩んできました。私はここで自分の修煉の体験を話したいと思います。

 修煉する前、私は他人によく配慮し、人情と道理をわきまえた人だとよく言われました。それは育った環境がもたらしたものです。私は幼い時に父が亡くなり、母1人で私たち3兄弟を養う事ができず、私は「童養嫁」(息子の嫁にするために、幼い時から貰って育てる女の子)として他人の家で暮らすようになりました。「童養嫁」とは何でしょうか。それはあらゆることを他人の意に従うのではありませんか?

 後に私は紡織工場で働き、普通の労働者から組長になり、そして工場で有能な小幹部になりました。私は各種の関係を良く処理して、自分が苦しくなっても、損をしても他人が楽しければいいと思っていました。このような考えは暮らした環境によりもたらされたものである以外に、中国共産党の間違った宣伝でもありました。自分の良さを民衆に表し、往々にして上司や人々に見てもらうためでもありました。常に他人の目を気にし、自分自身を抑制しており、実に心の中は苦しいものでした。しかし、こんな気持ちは心の中に押さえるしかなく、誰にも話すことができませんでした。

 修煉してから、今までの他人に対する「善」は純粋の善ではないことが分かりました。その中に「偽り」の要素が多くありました。師父が『転法輪』の中でおっしゃったように「善人だと言われた人は本当の善人とは限らないし、悪人だと言われた人でも必ずしも本当の悪人とは限りません」 修煉して次元が向上するにつれて、自分の「善」の背後に根本の執着、名を求める心が隠れていることが分かりました。他人に悪いと言われることを怖がり、称賛の言葉ばかり聴きたがっていました。

 名を求める心が重く、こんな執着心を持って法を学んで法理がはっきりするはずがありません。師父はおっしゃいました。「いかなる事も習慣になれば物質が生成されるのです。ほかの空間にそういう物質があるから、この空間でこの状態が現れたのです」(『マンハッタン説法』) この段落の法を学んでから、後天で形成された観念、身に付けた習慣はわれわれの空間場に存在する悪い物質であることが分かりました。それは勝手にすぐ無くなるわけではなく、学法の中で、修煉の中で私達が積極的に取り除かなければなりません。

 違う年齢、成長の背景、仕事環境の中でわれわれは異なる習慣と観念が形成され、それは個性になり、強大な執着になりました。一部は明らかに自分で分かっていても、一部は深く隠れて気付きにくいのです。常人の中で気が強い人であれば、自己中心で、他人を見下げて、他人の話を聞こうとせず、言われたらすぐ機嫌が悪くなります。これは全部自分の空間場で形成された悪い物質の反映で、私達はそれを認識しなければ、修めても常に同じ状態に陥るのです。師父は『精進要旨』の「警告の言葉」でおっしゃいました。「皆さんは、常人として百年千年来、骨の髄までしみ込むように形成された人間の理を変えなければ、人間としての表面の殻を取り除くことはできませんし、圓満成就できません」 師父のこの段落の法について、認識したのですが、私達が人の理から飛び出さなければ、無意識の中で魔を養い、これらは私達の空間場に存在して、われわれが法を実証することを妨害するばかりでなく、私達の意志を緩めてしまいます。

 正法の勢いは迅速で、私達は本当に根を掘ってみるべきです。どんな矛盾に出会っても内から探し、この方面の法理を師父は異なる角度から多くおっしゃいました。最近師父は「相は心から生じる」の法理を私達に説かれました。私の体験では、周りの環境のすべての現れは全部自分の心で形成されたものです。私は「内に向かって探す」法理で、身に付けた良くない習慣を取り除くことができると信じています。

 われわれはすでに大法弟子です。多くの神々は私達のような修煉の機会がなく、私たちは億万年待った機縁を大事にすべきです。師父が教えられた三つのことを良く行って、より多くの衆生を救い、私達が以前に誓った大願を果たしましょう。

 個人の悟りで、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。合掌

  2010年5月16日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/5/10/223243.html

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