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長春:TVで法輪功真相を放送した梁振興さんが迫害され死亡

(明慧日本)2002年3月5日、長春ケーブルテレビを通して、民衆に法輪功の真相を伝えた梁振興さんが、2010年5月1日午前10時ごろ、公主嶺中心病院で死亡した。 

 長春ケーブルテレビで真相を伝えた法輪功修煉者・梁振興さん、劉成軍さんの両人に19年の不当判決が下され、周潤君さんも20年の不当判決が下された。1999年から中共が法輪功を弾圧して以来、最も重い判決である。梁振興さんは死亡する前に、吉林監獄、鉄北監獄、四平監獄、公主嶺監獄で残酷な迫害を受けていた。

 長春テレビ放送事件について 

 江沢民をはじめ、610弁公室が虚言を作り、民衆を騙し、メディアを通して法輪功に対する民衆の憎しみを扇動するという状況の中、2002年3月5日夜8時ごろ、吉林省長春市ケーブルテレビの八つのチャンネルで、同時に『法輪大法が世界に広がる』、『焼身自殺かペテンか』など法輪功真相の記録映画が流れた。およそ、50分間つづいた。 

 長春ケーブルテレビのユーザーはおよそ百万人いるが、放送を見た人々の間にかなりの衝撃が生じた。しかし、多くの人が記録映画を見ることを通して、法輪功に関する真相が分かるようになった。

 このことで、江沢民はとても恐れを感じ、「殺せ」と命じた。その後、江沢民に追随する人が、約5000人の法輪功修煉者を逮捕した。修煉者達は逮捕される中で、少なくとも7人が殴られて死亡し、15人が4〜20年の不当判決を下された。この状況下で、法輪功修煉者・梁振興さん、劉成軍さんが19年の不法判決を下され、周潤君さんは20年の判決を下された。1999年に中共が法輪功を弾圧して以来、最も長い不当判決である。

 梁振興さんが受けた迫害 

 梁さんは2002年9月、警察に長春の鉄北留置所まで連行された。3日ごとに尋問され、毎回、行くときは警官に目かくしをされ、戻ってきた時は傷を負っていた。連れて行かれた所は長春の浄月潭付近である。そこには、拷問室があり、連行された法輪功修煉者はそこで残酷な迫害を受けていた。

2002年3月、不法拘禁された梁振興さん

 梁さんは多くの監獄に移された。2002年、吉林監獄で拘禁され、「ベッド」で2回も固定されて、虐待を受けた。その「ベッド」は 長さおよそ2mの板で、板の両端に鉄の板が付いている。その鉄の板には、手や足を固定するための穴が1列に空けてある。その「ベッド」は「引き伸ばす」という機能も持っているが、主に、固定する役割を果たす。人を固定する時、人とベッドに余裕がないが、四肢を「引き伸ばす」時より、やや緩めている。大便する以外は、全く解放しないのである。

 2004年、梁さんは吉林監獄から鉄北監獄に移され、よく虐待を受けていた。彼は暴力を恐れず、監獄で煉功した。大隊長・王少光と教導員・張力周の2人は囚人に指示し、梁さんを殴らせた。監視する囚人は梁さんを酷く殴り、さらに、「お前を殴っても 誰も俺を阻止できない」と凶暴に言った。 

 2005年、梁さんは鉄北監獄から四平石嶺監獄に移された。車から降りると、教育区に拘禁された。四平監獄で、警官は「誰も、梁振興と話してはならない」と命じた。

 もし梁さんに話しかけたり、たとえ見るだけでも、酷く殴られる恐れがある。梁さんは監獄で長期的に警官に足を挟まれ、ベッドに固定された。囚人4人が警察の指示の下で毎日24時間、梁さんを監視し、虐待した。囚人はさまざまな卑劣な手段で虐待した。例えば、殴ったり、壁に向かせて長く立たせたり、マイナス30度の日に冷水をかけたりした。 

 2006年7月、長春の610弁公室のメンバーが、四平監獄で法輪功修煉者に無理やり信仰を放棄させようとしたが、梁振興氏は信仰を堅持し、命令に従わなかった。

 それで、警官は毎日、梁さんに灌食し、灌食した後、パイプを取らずにそのまま挿している。犯罪人が常に彼を2階まで担ぎ、洗脳を行っている。4、5人が順番に、中共の思想を彼に注ぎ込んだ。彼が聞かず、見ないとすると教育区の区長・伊守東、楊鉄軍、幹事・武鉄など四人が四つのスタンガンを組み、電気ショックを加える。虐待に耐えきれず、梁さんは何回も自殺を図った。

 7人の法輪功修煉者が監禁中に死亡 

 江沢民グループの「殺せ」という命令で、5000人の法輪大法修煉者が不法に逮捕された。長春テレビ放送事件で、7人が死亡した。 

 2002年3月11日、34歳の法輪功修煉者・劉海波さんは、長春市寛城区公安分局に連行され、夜1時まで残酷な迫害を受けた。その後、警官は劉さんの心拍が止まったことが気づき、病院に運んだが 結局、病院で死亡してしまった。 

 2002年3月16日、30代の男性法輪功修煉者が、長春錦程公安分局に殴られ死亡した。酷く殴られたので、内臓が破裂し、体が変形してしまっていた。 

 2002年3月18日、34歳の劉義さんは、長春緑園区公安分局の警官に、死に至るまで殴られた。 

 2002年3月20日、54歳の李淑芹さんは、長久路派出所の警官に連行され、長春第三留置所で迫害され、死亡した。 

 2002年3月6日、吉林大学の応用数学教師・沈剣利さんは警官に連行され、2002年4月下旬に迫害され、死亡した。 

 2002年3月、法輪功修煉者・李蓉さん(女性)は、テレビ放送に関与したという理由で連行され、4月はじめごろ、迫害され死亡した。 

 35歳の法輪功修煉者・候明凱さんに対して、610弁公室は五万元の賞金を出し、さらに、候さんを逮捕した警官を二級昇級するとした。彼は、2002年8月21日に、逮捕され、わずか2日間で死亡した。2002年8月23日に、警官に火葬された。

 劉成軍さんは、21カ月間も迫害を受け死亡 

 2003年12月26日(金曜日)午前4時、テレビ放送に関与した劉成軍さんは1年9カ月の迫害を受け、長春吉林大学中日聨誼病院で死亡した。


 これは、中新ネット2002年4月1日に掲載した写真である。残酷に迫害された劉成軍氏は力がなく、正常に座る能力を失っていた。この写真は、中共のメデイァ中新ネットに掲載された写真であるが、彼の現状は写真の様子よりさらに悪いと思われる

 2002年3月24日、劉成軍さんが不法に逮捕された時、警官は彼の足に向け、銃で発砲し、重傷に負わせた。2002年5月、彼は鉄北監獄に移され、そこで、拷問を受け自白を強いられた。

 トラの椅子で52日ほど虐待されていた。彼が裁判所で裁判を受けた時、人に持ち上げられたのである。2002年9月中旬、彼は19年間の不法な判決に下され、吉林で拘禁された。 

 2003年10月下旬、劉さんは酷く虐待を受け、容貌も変わり、死に瀕していた。それで病院まで運ばれ、危篤通知書を出された。その後、彼は610弁公室によって吉林公安病院に移されたが 公安病院の医師は、尿毒症と診断し、危篤通知書を出した。やむを得ず、11月4日、吉林監獄が、治療手続きを出した。

 しかし、治療を受ける場合、劉さんの戸籍所在地・農安県派出所が印鑑を押さなければならないと言うのであるが、警官は印鑑を押さずに、11月5日、上の農安県公安局に提出した。しかし、農安県610弁公室の警官が印鑑を押すのを断ったので、結局、治療手続きが無効になってしまった。

 2003年12月26日(金曜日)朝4時、劉成軍さんは1年間半の虐待を受け、長春吉林大学中日聯誼病院で死亡した。吉林監獄の警官が多く集まり、劉さんの家族の反対を無視して、無理やり火葬した。目撃者によれば、彼は火葬される前、鼻の穴、耳の穴、太ももなどから血出していたという。

 雷明氏が迫害され死亡 

 2002年3月15日に 雷明さんはテレビで法輪功の真相記録映画を放送したため、長春市清明派出所まで連行された。その後、長春公安局に移された。長春公安局で、彼は警官にスタンガンで電気ショックを加えられ、虐待された。午後8時ごろ、彼は長春公安一処まで移され、警官が彼をトラの椅子に座らせ、両足を紐で引っ張り、鉄棒をトラの椅子の下から横に入れ、ロックした。その後、彼の両手を後ろに引き、それから、ベルトを手錠の中に入れ、椅子の足から曲げて上に引きあげた。それから、警官が強くベルトを下に引き、彼を虐待した。 

法輪功修煉者・雷明さん

以前の雷明さんは体重が65kgあったが、迫害後は35kgになった

 警官は理性を失い、順番に凶暴なびんたを張り、その後、二人の警官はスタンガンで、雷明さんの首、口、もも、胸、生殖器、肛門などをバッテリーが切れるまで電撃した。彼はとても苦しんで、絶えずに叫んでいた。次に、警官はスタンガンを充電している間、彼の頭にビニール袋をかぶせ、呼吸をさせなかった。

 雷明さんが死にかけると、警官はビニール袋をはずし、少し、呼吸させ、再び頭にかぶせる。こういうことを何回も繰り返し、スタンガンの充電が終わるまで続け、続いて電撃する。さらに、ある警官は電気ショックだけで足りないと思い、ドライバーを焼き、首にやけどをさせた。 

 さらに酷かったのは、警官がスタンガンでやけどになったところに電気ショックを加え、水をかけたが、彼は死に至らなかった。警察の雷明を虐待する手段はいろいろあり、彼の頭に鉄のバケツをかぶせ、鉄棒で強く敲いたので耳が聞こえなくなってしまった。さらに、木の棒を肛門に入れ、スタンガンで電気ショックを加えるなど邪悪な手段も使った。

 およそ、4、5時間ごとに、雷明さんの腕、両手を引っ張るたびに、彼はとても痛みが感じた。警官が、彼の両手を後ろから強く引きあげ、胸を太ももに近づかせると彼はすごい痛みを感じた。およそ5分ほどで警官はやめたが両手を強く引っぱられたので、脱臼してしまい、指も2〜3倍ぐらい太くなってしまった。 

 4昼夜ずっと繰り返し、続いたて、最後に留置場に移された。留置場では服を脱ぎ、検査を受けなければならないのであるが、留置場の警官は彼の体が傷だらけとわかり、どうしても収容したくなかった。しかし、公安局の警官がなんとかいったので、やむを得ず、収容した。 

 普通の犯罪人は監獄での初日に、頭を洗わなければならない。雷明さんが服を脱ぐと、傷だらけの彼を見て他の犯罪人が驚いた。獄吏は「以前、法輪功がそんなに酷く迫害されているのを信じなかったが、今その光景を見て、徹底的に信じるようになった。こんなことをやっていると、共産党政権もそろそろ終わりだ」といった。 

 当時、雷明さんを迫害した警官は、劉会ビン、江涛、高杭らである。 

 雷明さんはさまざまな迫害を受けた後、長春市中共中級裁判所に17年の不当判決を下された。吉林監獄まで移された後、毎日止めることなく虐待されたので、筋肉が萎縮、歩けなくなり、生活能力を失い、肺結核に患ってしまった。 

 2004年11月、危篤に堕ちてしまった雷明さんが家に戻った当時は体重が35kgまでおちていた。しかも、当地の公安局、派出所、監獄の警官がいつも騒ぎに行っていたので、やむを得ず、家を離れて流浪し、2006年8日6日に死亡した。 

(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2010年5月16日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/5/4/222833.html

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