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家庭の中で修煉して昇華する


文/山東省の大法弟子

(明慧日本)私たちは常人の中で修煉しています。私にとって、家庭の関を越えることは、常人社会の中での関よりさらに難しいと感じました。社会の中で自分は修煉者であると思いながら、自分に厳しくしていますが、家に入るとあの緊張感がなくなり、外で乗り越えられなかった関やトラブルを家で晴らしてしまい、家族に「あの人が間違った」「あの人が良くない」と言ってウップンを晴らしました。家族とのトラブルがあると内に向けて探さず、遠慮せずに言い返し、喧嘩までしてしまいした。

 私の両親と兄はみな修煉者ですが、私は家族とのトラブルがよくありました。ある日の晩ご飯の時、兄が来て一緒に食事をしました。私は母親に頼んで、帰宅が遅い主人の分のおかずを先に残してもらおうとしました。そのとき、母は少しためらって、兄は「ふん」と言いながら口をとがらせて「このケチめ、自分でやらず人にやってもらうなんて、人にやらせればたくさん残してくれると思ってるんだろう」と文句を言いました。私はすぐ茶碗をとって自分で主人の分のおかずを取り残しました。その後、私はご飯を二、三口食べて涙をいっぱいため、涙があふれ出ないように目を丸くして抑えようとしましたが、できませんでした。私は「やかんの水が沸騰したかどうかを見に行く」と言って玄関から出ました。庭で涙が止まりませんでした。ぽろぽろあふれてやりきれない思いがしました。母親は私を呼びに来ました。私は「服を先に洗ってから食事する」と言い、そのとき目が真っ赤になりました。

 その後、静かな外で私は落ち着いて内に向けて探し、「兄の話に私はなぜこんなに気分を悪くしたのか?」と考えました。師父は「情から抜け出すことができれば、誰もあなたを動揺させることができず、常人の心があなたを動かすことは不可能となります。それに取って代わるものは慈悲の心であり、より高尚なものです」(『転法輪』)とおっしゃいました。私は情に左右されやすく、昔から何かあるとすぐ涙を流してしまいます。人に自分の昔の事を話すとまた涙が流れ、歌を歌うときにも我慢できず涙が流れてしまいます。今、私は涙が出やすい癖の根源が情であることが分かるようになりました。自分は常人の中から抜け出せず、常人のことを重く見ていたからです。

 法理で考えた後、気持ちがよくなって部屋に戻りました。何もなかったように誰も私に聞きませんでした。私は自分の心の向上と昇華を感じて喜びました。

 父親は姉の方が好きで、私のことは好きではありません。私が姉とけんかすると、父親は、誰が間違ったかを考えずにいつも私を批判しました。このため、母親は私をよくかばいました。一家が修煉してからも、父親の私に対する態度は何も変わりませんでした。母親は父親に「修煉者は人を区別する心を持ってはいけません」と何度も勧めましたが、父親は変わりませんでした。私も長い間、父親との関係が悪くて、心の中でなかなかこの関を越えられませんでした。

 私は常人の心がとても多く、よく文句を言う人間です。ある日、口の中に十数個の水疱ができて話すことや食事することができませんでした。母親は「口を修めるべきです」と言ってくれました。「確かにそうです。家で余計な話が多くて、父親の行動が気に食わず、よくぶつぶつ言いました」と私は考え、「早く直していこう」と思いました。

 徐々に私は余計な話が少なくなり、自分の進歩に喜んでいました。しかし、しばらく経って、父親はハエたたきを食卓の上に置いたのを見て我慢できず、父親に「こんなに汚いハエたたきをテーブルの上に置いて、食事をする時にまたこの上に饅頭を置くの」と言いました。父親は何も言い返しませんでした。私は父親がこれからしないだろうと思いましたが、父親は相変わらず置きました。私はぶつぶつ言わなくなりましたが、心の中にこれを抑えていたので気持ち良くありませんでした。

 父親は姉と兄が買ってきた果物とおやつを食べましたが、私の買った分を食べませんでした。父親はスイカが好きでしたが、私が買ってきたスイカを食べず、臭くなって捨ててもかまわないようでした。いつも蛇口を閉め忘れる父親に、わたしはまず善意で父親に指摘しましたが、父親は依然忘れてたくさんの水を流しました。私は母親を通して父親に注意してもらいましたが、父親は直しませんでした。

 私は気分が悪くて外に向けて探し始め、父親のこれがよくない、あれがよくないと思いました。ある日、神韻公演の「岳母刺字」(岳飛の背中に母親が「尽忠報国」の四文字が刺青した)を見たとき、母親は「ほら、見てください。昔の人は父母に会うときひざまずき、だれも父母に言い返すことをしませんでした。今の若い人は逆になっています」と言いました。私は心が揺さぶられ、「師父は母親の口を通して私のことを指摘してくださいました。修煉者である私は常人にも及びません」と思って顔が赤くなりました。私は両親を尊敬せず、言葉の使い方も悪いままでした。父親の行動は私の心を突いたためかもしれません。私はこの心があるから、このようなことが現れて私を刺激し、自分の執着を見つけて心性を向上させてくださったのです。師父は「したがって今後、何かトラブルに遭遇した時は、それを偶然なことだと考えてはなりません。なぜなら、トラブルは突然現われるかも知れませんが、決して偶然なものではなく、みなあなたの心性を高めるためのものなのです。あなたが平素から煉功者として自覚してさえいれば、それに正しく対処することができるでしょう」(『転法輪』)とおっしゃいました。

 私は自分が修煉者であると何度も言い張りましたが、トラブルに遭うと外へ押し出し、修煉者であることを忘れ、内に向けて探さず、自分を修めませんでした。このような事ではどのように向上できるでしょうか? いつも父親の執着を見て、父親を変えようとしていました。自分は他人の行動に執着しているのではないでしょうか? 修煉者は何かに遭うと心が動じないはずですが、私の気持ちは、いつも自分の執着を放下せず、他人を変えようとし、自分を修めていませんでした。

 大法に照らし合わせ、私の修煉は全然なっていないと分かった後、父親を見ると、気持ちが良くないということがなくなりました。父親はこの数年、中共に迫害され、たくさん苦労をしましたが、つらいと言わず、いつも明るく、大法を信じ、師父を信じる心が堅くて人に感心されていました。最近の私は親孝行を心がけ、世話をするべきです。両親と共に三つのことをしっかり行うことが私たちの最終の目的です。

 2010年5月19日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/3/2/219096.html
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/3/15/115356p.html

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