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【応募作品】大法を修煉して若返った(一)

文/中国の大法弟子

(明慧日本)今年の「世界法輪大法デー」に際して、私は自分が大法を修煉してから現れた変化や奇跡を文章にまとめ、多くの人に法輪大法の素晴らしさを知ってほしいと思います。

  私は幼いころから星の観察が好きで、いつも何か探していました。それから、月光の下で老人が語る神話を聞くのも好きで、自分の思惟はいつも仙境の中にありました。

 成長するにつれて、俗世間での人間の追求の中で必死に頑張ってきました。そのため、私の健康状態は日増しに悪化し、気管支拡張症(大量の喀血)、肺炎、胃下垂、胃炎、腎下垂、腎炎、坐骨神経痛、関節炎・・・などの病気を患っていました。身体がこのような状態になっても、仕事に対しては他人に負けないよう、日々争っていました。そのため、薬箱が私の必需品となり、自分の苦しみは家族に悲しみをもたらしてしまいました。病院で治療できないと言われ、民間の治療法も試してみましたが、効果がありませんでした。気功ブームのときには、練功したこともあり、多少よくなったような気がしましたが、やはり根本から治すことはできませんでした。

 私が勤務していた会社は家から遠く、通勤に時間がかかるため、早朝には家を出発し、遅い時間帯に帰宅します。そのため、いろいろな情報に乏しく、法輪功が伝えられ始めたころ、法輪功のことを知りませんでした。偶然に法輪功のことを数回聞いたことがあったとしても、一般の気功と思い気に留めませんでした。ある日、友人から「法輪功を煉功してみたらどうですか? 法輪功は病気治療に奇跡的な効果があり、高いレベルを目指すことのできる功法ですよ」と勧められました。おそらく私に「修煉」の機縁が熟したのかもしれません。そのとき「修煉」の二文字を聞いて心が動きました。週末になって友人と煉功場を見に行きました。 

 煉功場の公園に到着すると、優美な音楽が聞こえてきて、多くの人々が煉功し、その表情は穏やかでした。私はこの気功はとても良いものだと思い、輔導員に私も煉功したいと申し出ました。そして『転法輪』という本を渡され、まず本を読んで法輪功を知ってほしいと言われました。2日間で『転法輪』を読み終え、「真・善・忍」は宇宙の根本的な大法であり、すべてのことを計る基準であることが分かりました。心の中は希望にあふれ、長きにわたり探していたものに出会えたと思いました。借りていた『転法輪』を返しにいくと同時に、私は『転法輪』を購入しました。 

 家に戻ると、突然病気で倒れ、しかも病状が重く、ベッドに寝たまま動くことができませんでした。話す力もなく、ちょっと動いただけで、全身の細胞が痛くなるような感じがして、我慢できないほどでした。生きるより死んだ方が楽だと思うぐらいの辛さでした。私は師父の講習会に参加したことがなく、この状態にどう対処すればいいのか分からず、苦痛を乗り越えられそうもないときに、師父の『転法輪』の中の説法を思い出しました。「身体の浄化をしてあげるのは本当に法輪功を学びに来た人、本当に大法を学びに来た人だけに限ります」

 今の病状は、師父が私の身体を浄化して下さっているのでしょうか? 師父に会ったこともなければ、煉功したこともなく、ただ『転法輪』を1回読んだだけで、ほとんど理解していないのに、私は修煉者なのでしょうか? 師父が見てくださっているのでしょうか? 身体の浄化はこんなに苦痛を伴うのでしょうか?このようにいろいろ思い巡らしました。心の中で「私はどうしても法輪功を修煉したい」という一念を発しました。そして師父がおっしゃった「忍び難きは、忍びうる、行ない難きは、行ないうる」(『転法輪』)を思い出しました。それなら、私は忍ぶしかないでしょう!

 しかし、それは言葉で言うほど簡単ではありませんでした。目の前に置いてあった時計の秒針を見ながら、この苦痛はいつまで続くのかと自問し、苦痛によって流した涙で枕を濡らした私は、再び師父の説法を思い出しました。「人は、以前に悪事を働いたために生じた業力のせいで病気になったり、魔難に遭ったりしています」(『転法輪』) 私の返済すべき債務が多すぎて、このような重い病状が現れたのだと思いました。そして私は「忍び難きは、忍びうる、行ない難きは、行ないうる」(『転法輪』)を繰り返し暗唱し続けました。

 (続く)

  2010年5月20日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/5/16/223369.html

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