【応募作品】法輪功に感謝する
文/中国東北地方の大法弟子
(明慧日本)私は東北人です。今年47歳で、法輪大法を修煉して12年が過ぎました。修煉してからの、心身に起きた巨大な変化を振り返ると、数え切れないほどの体験がありました。
法輪大法を修煉する前、私は体質が弱く、多病でした。子供の頃、両親は常に私をつれていろんな病院に診察に回りましたが、なんの病気か分かりませんでした。まだ幼いのに、常に頭痛、腰痛があり、全身が辛かったのです。何回も夜中に熱が出て、母は疲れた体で、真っ暗な夜に、私を連れて病院に注射にいきました。連続して2つの冬に、私は病気でオンドルから立ち上がることができず、学校にも行けませんでした。
私が13歳の時、父は体の調子が悪くなり、発病してから数カ月後でこの世を去りました。父の病死は我が家にとても大きな打撃を与えました。それから、7人の家族はおじいさんの少ない給料で生活をしました。おじいさんもまた常に病気で入院して治療を受けながら、命を維持しているところでした。生活の困難、体の辛さで私は小さい時から偏屈で、卑屈な性格になってしまいました。私の体はますます悪くなる一方で、やっとのこと大学で学び、辛抱しながらも卒業することができました。
結婚し、子供を生んでから、生活と仕事の重圧で、私の体は更に悪くなりました。胃病、胆嚢炎、婦人科の病気など各種の疾病がぞくぞくつめかけて、本当に言葉で語られないほど苦しかったで。漢方、西薬、各種の民間の処方も使ってみましたが、あまり大きな効果はありませんでした。胃病が重い時、私はお粥を飲むしかなかったのです。なにかを食べると食物が消化器官を通るとき、ずっと痛くなりました。病院に行って胃鏡検査をしようと決めた時、私はすでに生命の果てにまできたと感じました。よい体を持つために、私はいろんな鍛錬方法を試しつくしました。走るなどいろんな運動、太極拳、気功などを試しましたが、あまり効果はありませんでした。元気な体は私にとって、過分な望みでした。
1998年の春、私の生命には希望が訪れました。その時、法輪功は中国大陸でちょうど急激な発展をしているところでした。試してみようと思って、まだ日があまり明るくなってない時、私は煉功点に行き、法輪功の5式の功法を学びました。その時、私はこれほど多くの人がこの功法を習っていることを知りました。私たちの小さな県に、なんと1000名以上の人が法輪功を学んでいました。しかも何箇所も煉功点があり、私は自宅の付近で煉功点を見つけることができ、ここの雰囲気が非常に穏やかであることでした。煉功点に行くととても心地よく感じました。特に補導員は辛抱良く新しい学習者に煉功動作を教えてくれました。毎日新しい人が参加していて、みなが集団煉功に参加できるまで、補導員らは毎日無料で煉功動作を教えていました。
煉功してから間もなく、私の体は浄化されました。胃病、胆嚢炎、婦人科の病気などの症状が消えました。家族は驚きました。絶えず煉功するにつれて、法輪功の書籍『転法輪』を読むに従って、私は人間とは良い人になるべきで、いかなる環境の中でも善を持って人に対し、何をする際にも他人のことを先に考え、本当に「真・善・忍」の基準に従って修煉してから、健康な体を得られる、ということが分かりました。
体がよくなると、気持ちもますます軽快になり、毎日笑顔でした。仕事に対する態度もますます楽観的になりました。学生がきちんと授業を聞かないとき、その学生を責めることをやめ、自分に原因を探しました。優等生と劣等生を平等に対し、深く学生のことを理解しようとしました。あるクラスには基礎が弱く、教育がうまくいかない学生が数名いました。私が善の心を持って、彼らに接した時、そのわんぱくで、勉強が嫌いな学生らが自ら私のほうにやってきて、心を開きました。私に、自分たちもよい子供になりたいが、ただ基礎があまりにもよくないため、勉強がうまくいかない、両親にも申し訳ない、私に彼らを助けてくれるように望んできました。また、私が中学生三年生を教えたときのことです。学校では教師の教え状況を把握するために、すべての学生に教えてくれる先生に対して、満足率の採点を採ってもらいました。私が教えていた6クラスの学生は私に高い点数をくれました。同じ学年の先生は驚いて、「学生らはあなたにそれほど高い点数を採ってくれたよね」と言いました。
以前私は自分の得と失をとても重く見ていました。精神的な、あるいは物質的なものも同じでした。利益において、すこしでも失うと辛くてしかたありませんでした。師父は説法の中で私たちに「もともと自分の人生の中にないもの、社会において他人に属するべきものを手に入れてしまえば、他人に借りを作ったことになります」(『転法輪』第二講)と説かれました。また師父は私たちに「借りがあったら、返さないといけない」とも教えてくださいました。私は得と失の関係について分かってから、常に自分に属しないものは絶対心を動じないように、自分に警告しました。例えば、保護者からプレゼントがあったら、私は善意をもって拒否しました。本当に拒否できない場合は他の方法でそれを返しました。人の前でも、後ろでも良心がとがめる事をしませんでした。例えば、一回校長にレストランに行って精算をするように頼まれました。レストランの主人は私にコミッションをくれました。私は心を動ぜず、帰ってから、それも清算の金額の中に入れました。
大法は私と姑の間の長年にわたる憎しみをなくしてくれました。以前常に姑が私に不公平だと感じ、考えれば考えるほど、心のバランスが取れなくなりました。一時期は私たちの関係は非常に険悪な状態でした。このため、主人の兄弟との中もあまりよくありませんでした。長期にわたり、鬱憤がたまり、体の状況はますますまずくなりました。師父は『転法輪』の中で、私たちにこういう道理を教えました。「もちろん、われわれは常人の中で修煉をしているので、親孝行をするのも、子供をしつけるのも当然です。どんな環境の中でも人には親切にしなければならず、まして自分の身内のものの場合はなおさらです。親だろうと子供だろうと誰に対しても同じように、何事につけてまず人のことを優先に考えるならば、それはもはや私心ではなく、慈悲心によるもので、慈悲そのものです」師父の説法を読みながら、私は自分の行為を非常に後悔しました。
姑の生涯も易しくなかったのです。若いときに夫を失い、一人でやっとのことで子供たちを養って、結婚させたから、私たちは彼女に孝行し、彼女を尊敬し、感謝し、彼女が晩年に安らかに楽しめるようにさせるべきでした。どうして、彼女の不足を見つけようとするのでしょうか。自分の足りないところを探した後、再び姑を見ると、以前と違う感覚でした。何が起きたら、彼女の立場に立って、物ことを考えるようになりました。それから、私は優しいこころを持って姑に対し、時間があったら、彼女のところに行って、話し合ったりしました。彼女と交流し、彼女が喜ぶことを話しました。夫の一番上のお姉さんが私の前で私の悪口を言っているとき、私はそれを気にせず、却って彼女の立場で考えました。この過程の中、私の心は広くなりました。
私は大法の中で恩恵を受けました。邪悪が迫害を始めた当時、『転法輪』を読むと、その中の如何に人間として生きるかの道理が私の信仰を更に固めてくれました。私はよい人になることは間違ってないと信じていました。「真・善・忍」は間違っていません。ですから、迫害されてからの11年間、私は自分の信仰を放棄しませんでした。これからも私は引き続き大法を修煉し、さらによく自分を修めるつもりです。
善良なる友よ、以上は私自身の体験です。あなたが法輪功の真相が分かり、法輪功の書籍を読み、是非の分別ができ、法輪功に対する攻撃はすべてでたらめということが分かることを望みます。真心で「法輪大法はすばらしい」と念じる人は、災難を乗り越えることができます。なぜなら、「人に一念が生じたら、天地とも分かる」からです。いまのような邪悪が仕掛かってきたときに、あなたが善の念を持っていたら、神は必ずあなたを保護してくださいます。友よ、本当にあなたが幸せになることを願います。これは私の心の底からの願いです。
(2010年明慧ネット「5・13法輪大法デー」の応募作品)
2010年5月21日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/5/15/223355p.html)
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