養女に強制的に老人施設に入れられた後の修煉体験 文/中国の大法弟子
(明慧日本)私は2007年に法輪功を修煉始め、今年で74歳になりました。私は大法に従って自分を律し、養女に善を持って接した結果、養女との間の怨恨を解くことができました。
法輪功への迫害が始まると、私は、警察・自治会・養女らに夫との離婚を迫られ、殴られたり罵られたりされました。養女は「あなたが法輪功をやり続ければ、老人施設や精神病院に入れてやるから、やらなければ家にいてもいい」と脅迫されました。私は、法輪功は素晴らしいと知っているので放棄しませんでした。それで、彼らに老人施設に閉じ込められて、外出できなくなりました。
それでも、私は老人施設内で法を学び続けていました。毎日、早朝は『洪吟』を暗記し、正午はドアを閉めて『転法輪』を一講読み、夜は動功と静功をやりました。昼は院長やスタッフ達に真相を伝え、また施設内にいる老人達にも真相を伝えました。2人の党員を脱党させることができました。それと、『共産党についての九つの論評』についての内容も伝えました。毎日、発正念も欠かしませんでした。
一、すべての同修が、私に助けの手を差し伸ばす
私は強制的に老人施設に入れられると、私の地区のすべての同修が助けの手を差し伸ばしてくれました。「同修のことは即ち私達のことです」と皆さんはよく口にしました。皆はそれぞれ、私の姪に長距離電話を掛けて助けを頼んだり、養女に法輪功の真相を伝えたり、真相のチラシを配ったり、ネットに情報を流したりしました。多くの同修は養女に電話で法輪功の真相を伝え養母への迫害に加担しないように説得しました。
私は師父のご恩や大法の威力また同修達の暖かい心を深く感じました。師父と大法の御恩に報おうと思っても報えきれることができないと思います。
二、内に向けて探すことは修煉の宝である
師父は問題が出れば内に向けて探すと言われました。しかし、私はどのように内に向って探せばいいのか分かりませんでした。その原因は、私は物事の表面に惑わされて誰が非なのかを探し、個人の名利情が強くて争うことをやめることができなかったからです。養女に夫から相続した遺産を横取りされたことにずっと怨恨を抱いており、慈悲心どころではありませんでした。法輪功を修煉しても彼女を許すことができなかったのです。怨恨も情そのものです。この名利情を放棄できないのが一番の執着だと分かりました。
私の執着は娘の私への凶暴をもたらしました。娘が私の修煉を反対したのは、邪悪の要素が背後で彼女を操ったからです。私は彼女に真相を伝えても聞き入れて貰えず、逆に私に殴りかかってきたのです。正月12日午前、娘は老人施設に来て私の給料と身分証明書を奪って、その上、私の手を強く引掻いたり、腕の肉を強く捻ったりしました。度々の殴りや罵りに私は耐えました。忍は修煉の昇華をもたらす最も重要な要素だと思ったからです。
その日の正午、私はこの件を同修に伝えました。同修が正念持って私を励ましてくれました。同修達は皆私の娘に向って発正念し続けました。ある同修が弁護士を探してくれたりなどして、法律を通して養女の迫害を解決しようとしました。
私は同時に内に向けて探し始めました。この事件は、私の長年に持ち続けた人心よって起ったことだと分かりました。人心を放棄すると、慈悲心が現れ、相手を理解するようになりました。生まれて2日後の赤ん坊の彼女を養女にして今まで大きく育てましたので、このような状態になるべきではないと、娘も邪悪の宣伝に惑わされて迫害に加担しているだけなので、私と同じように迫害をうけていると認識し、彼女を助けるべきだと思うようになりました。すると私は涙が溢れました。
正月15日になると、娘がまた来ました。私は慈悲心を持って彼女に話し掛けると、娘も笑顔で私に「家で一緒に大晦日を過ごせなかったのに、15日になりました。私と一緒に家に帰りましょう。もうここに戻しません。この2カ月、各地から多くの電話がかかってきて、私もゆっくり過ごせませんでした」と返事してくれました。
そこで、私は信仰の自由と人身の自由と大法の書籍の返還を要求しました。すると、娘はあなたが法輪功をやっても反対しないし、何処に行ってもいいし、ただ、健康に気をつけて欲しいというのです。
私は家に戻ると、娘に毎日無事であることを朝晩電話で報告するようと言われました。私はもやもやとした気持ちでした。数日後、娘を呼んできて家の中で大法を読みたいと話すと、娘は反対しませんでした。続いて電話も、数日に一回にするようにと言うと、同意してくれました。
今回の件を通して、以前の私には善が足りなかったことがよく分かりました。善人は常に慈悲心を持ち、慈悲心を持たない者は悪人です。修煉は遊びではありません。私は大法によって作られた生命であり、名利情のために生きてはいけません。私は人間に生まれてきて、ただ名利情のためなのでしょうか? それとも財産のためでしょうか? これらのためではないはずです。大法のため、師父の正法に力を添えるためです。私は師父との誓約を果たさなければなりません。以前はよく出来ていないところが多くありましたが、これからはよく精進して追いつくように頑張りたいと思います。
師父が「確固として最後の道をしっかり歩み、法をよく学び、自らをしっかり修めていれば、正念はおのずと強くなり、大法弟子が行うべき事を必ず良く行うことができます。邪悪がおしまいになり、環境が変わりましたが、なおさら自分の修煉を緩めてはならず、衆生を救い済度するという神聖なる使命の中で、皆さんの威徳と光り輝きを作り上げてください!」(『祝辞』)と、私達に要求されました。
私は師父の教えを肝に銘じて、人の枠から抜け出し、精進する大法弟子となり、師父のご恩に報いたいと思います。
2010年5月22日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/3/23/220270.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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