■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/05/24/mh251746.html 



正しい修煉の道を歩む(一)

文/中国の大法弟子

(明慧日本)私自身が正法時期の大法弟子として、法に基づき、自分を律しているかどうかを振り返ってみたら、修煉が精進できず、足りないところがいっぱいあると感じました。しかし、慈悲なる師父は私を見捨てず、正法の進展についていけるように、いろいろな方法で私を啓発してくださいました。

 各地で花を咲かせるように資料拠点を広げようという提案があり、私もそのように大法の真相資料を作りたいと思いました。しかし、常人の一面が現れ、いろいろな理由をあげて、自分で真相資料を作れませんでした。2007年になって、ある同修が私の家に来て、「あなたの家の環境はとてもいいのに、なぜ自分で真相資料を作らなかったのですか」と尋ね、私は常人の観念を持って、資料拠点ができないいろいろな理由を言い出しました。同修は「あなたが挙げた理由を考えたら、資料拠点の設立ができないわね」と言いました。

 同修が帰った後、私は、なぜ同修が資料拠点のことを話してくれたのかと考えました。もしかしたら、師父が同修の口を借りて、私を啓発してくださっているかもしれません。しかし、私の常人の一面はまた言い訳を考えてしまいました。そして、私は、師父の法像の前で合掌して、「師父、私はどうすればいいのですか」と伺いました。このとき、一つの声が私の思惟を通じて頭に、「多くの大法弟子がみんなよくやっています、あなたは何を迷っているのでしょうか」と浮かんできました。私はすぐに「常人のことで私の正しい修煉の道が妨害されないようにします。必ず師父がおっしゃった通りに行います」と決心しました。

 そして、私は学法グループの同修に資料を作りたいという考えを話しました。当時、私の家は経済的に余裕がなく、ちょうどある同修が余分に一台のパソコンを持っていたので、譲ってもらいました。これらも全て師父が按排してくださり、私の法を実証する心と衆生を救うたい心を見てくださっています。師父の慈悲心をより深く感じました。

 師父は『マンハッタン説法』で「大法弟子は法を実証するという道で、皆力が及ぶ限り、自分の行うべきことを行っており、皆さんが行っていることは皆さんの修煉と緊密に関係しているからです。これがすなわち修煉なのです」とおっしゃいました。

 資料を作ることは表面的に普通のことと同じように見えますが、実際、やってみると、思ったより簡単ではなく、師父の説法の内包をいっそう理解できるようになました。例えば最初は、カラーの資料を作り上げることができて、心から喜び、歓喜心が出て来ました。その執着心が出てきて、すぐに邪悪に隙に乗じられました。プリンタの用紙を詰まったり、インクが漏れたりして、いろいろなトラブルがあって焦りました。解決したいため同修を訪ねると、同修は私に「問題が起きたら、内に向かってよく探し、焦らないでください」と教えてくれました。私は内に向かって探し、その過程で多くの執着心を取り除きました。そして、順調に資料作りができるようになりました。

 資料を作らないと、多くの執着心は出てこないので、それらの執着心を取り除けないのです。ですから、各地に花を咲かせるように資料拠点に広げることは、師父が大法弟子に按排してくださった大法修煉の道の一部だと私は体得しました。

 (続く)

 2010年5月24日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/5/16/223744.html

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