同修と協力する中で着実に修める(二)
文/遼寧省の大法弟子 宝蓮
(明慧日本)
二、うわべの現象の中で向上する
ある日、一人の同修の状態が悪いと聞き、同修の甲さんとその同修を訪ねてみようと約束しました。この同修の連絡先は甲さんが持っていました。翌朝6時の発正念が終わってから、甲さんから電話がかかってきました。「私は今、外です。今日私は行けません。ちょっと大変なことで・・・切ります」と、私に何も話さず電話を切りました。どんな事が同修を手伝うことより重要なのでしょうか。そしてすぐ、あの同修の連絡先は甲さんが持っていることに気付いて、甲さんに折り返し電話をしました。3回かけて、最初の2回は通話中で、3回目は電源オフになっていました。このとき疑心が生じました。甲さんはふだん電源を切らないのに、私だと分かってわざと出ないのではないでしょうか? 私の協調になにか問題があるのか、などといろいろな考えが出てきました。
私は甲さんと協力して一年も過ぎました。各自いろいろな執着はありますが、いつも厳しく自分を律することができ、長所を取り入れ短所を補って、共に精進することができました。さらに、衆生を救うことでも黙契を交わし、師父のご加護の下でますます成熟していきました。毎日衆生を救うことを第一に思い、楽しく考えました。二人はまるで行脚するようで、一度出たら半日歩き回ります。祭りや年明けは人を救う良いチャンスだと思い、怠けませんでした。甲さんも伝えられるようになって、2人で1人を救うより、2人で2人を救った方が良いのではないかと思い、2人別々に自分の道を歩もうと話をしましたが、甲さんは嫌がりました。「わたしたちはこの道で一緒に歩みましょう。私を捨てないでください」と言いました。当時、私も強く言わず、互いに協力して効果も良く、これで大丈夫だと思いました。その後、だんだんと依頼心が生じ、どこへ行っても一緒に行きたくなりました。彼女は正念が強く、師父が私に按排してくださった良いパートナーだと思いました。しかし、今年の年明けから彼女は何度もいろいろなことで遅れてしまうことがありました。
私はやはり自分から探そうと思いました。本当は自分が彼女に非常に依存していました。天上の神々は他人に頼りません。私はどこに行っても甲さんを連れて行き、1人でできることも2人でやっていました。私はこの頼る心を捨てて、協調が必要な時は再び協調すればいいと思いました。
翌日、同修さんから電話があり、話してみたらわたしの勘違いでした。彼女が私に電話したときは電池が切れる寸前でした。私は常人の考えで他人を疑い、旧勢力が按配したうわべの現象で徘徊していました。私は甲さんと、今回のうわべの現象による自分の不足と向上すべき要素について話しました。甲さんもこの点について認識し、確かに自分で歩むべきだと話しました。私は他の同修と協調するときもこのような勘違いがありました。
このようなうわべの現象は旧勢力の按配で、私達に隔たりを作って全体の協調を妨害しているのです。私達は認識しなければいけません。このようなうわべの現象の中で同修と接し、寛容し、理解しても、このうわべの現象の作用しか認識することしかできません。どんな心が招いたのかを見るべきで、これも心性を向上し、次元を向上する良いチャンスです。
(続く)
2010年5月26日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/5/11/223182.html)
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