共に精進する中で自分を修める(一) 文/中国の大法弟子 浄心
(明慧日本)自分の修煉の道を振り返ってみると、ときに精進し、ときには怠けています。精進するときは積極的に大法に同化し、難関をうまく乗り越え、自分も楽に感じていて、またいくつかの超常的な現象も現れたりし、人心も少ないのです。三つのこともうまくこなせます。師父は複数の説法の中で私達に、内に向かって探し、自分を修め、全体に協力する法を説かれました。私は、自分の修煉の中で、これについてずっと深く理解できませんでした。しかし、いくつかの事件を通じて少し悟りました。本当に師父の法に照らしてよくできるようにしたいと思い、このような新たな次元の法理を認識できた後の心境は、本当にある種法に溶けこんだ幸せな感じでした。自分にはまだまだ足りないところがいっぱいあり、ここで自分の感想を師父にご報告し、同修の皆さんと交流したいと思います。
法を学ぶグループで同修たちと共に向上する
最初に法を学ぶグループを結成するとき、私ともう一人の70歳過ぎの年配者でした。惰性がいつも付きまといました。しかし、その同修は全く文字が読めず、一人で学法できないことを考慮し、また、師父が私達に残してくださった形式を守るべきだと思い、やっとグループ学法をずっと続けることができました。その同修の家で学法をして5年以上が経ちました。今は8、9人ぐらいいます。最初は、ただ『転法輪』だけを読んでいましたが、後になって自宅で『転法輪』を勉強し、グループでは師父の他の説法を学ぶようになりました。毎週2回、同じ本を読みました。
グループの中である同修がいました。彼女は文字があまり読めないので、ずっと法を読むのを恐れていました。みんなに励まされて法を読み始めました。彼女は読むスピードが遅いのですが、一文字一文字、指でたどりながら読んでいました。非常に真面目でした。他のみんなは静かに聞いていて、ときどき彼女を励まし、彼女のために喜びました。実は私にとって、これは面倒がるなどよくない心を取り除く過程でもある。後になって、完全に平和で落ちついた心境になって、ただただ彼女のために喜ぶ気持ちだけになり、みんなが同時に向上できました。
ある同修はもう一度修煉を始めました。最初は継続して学法することができませんでしたが、遠くの同修が続けて来ているのを見て、自分も困難に打ち勝ってきたそうです。
学法グループの中で、同修が私に、発正念するときに手の姿勢が正しくないのを指摘しました。私は、内に向かって探して自分の執着を見つけましたが、人に知られたくありませんでした。それでずっと直りませんでした。そして、私は勇気を出して、グループの中で自分の執着を暴露しました。同修たちはみな法に基づいて認識し、私が自分の執着を暴露できることはいいことだと認識し、私のために喜んでくれました。私は最初に自分のことを言いたがらなかった気持ちが完全になくなり、私たち全体は普通の団体ではなく、本当に高い心性をもつ修煉者の一体だと感じました。同修たちが私のために正念を発し、邪悪を解体してくれたことで、私の状態は改善されました。
それから間もなくして、もう一人の同修がグループの皆に、自分のずっと言い出せなかった執着を暴露しました。彼女は自分の執着のために何回も泣きましたが、皆は、修煉しているから今後の道を正しく歩めばいいよと慰めました。彼女も楽になりました。それから三つのことをしっかり行い、彼女は非常に努力しました。グループで学法すると、私は学法の途中で寝てしまうことがなくなり、読み間違えることも少なくなりました。私たちは互いに励まし合い、法を暗記し始めました。
グループで学法することによって、私たちは皆この環境が自分の向上に非常に役立ったことに気づきました。グループで集まる際に安全を心配したこともありましたが、私たちは師父を信じ、理知をもってよく行い、私たちの修煉環境を守りました。
同修の良い面を見て、自分の足りないところを探す
同修をどうみるかについて、私はいくつかの過程を経ました。自分では少し向上したつもりですが、悟れず、できなかったこともあります。これが今後、努力すべきところです。
(続く)
2010年5月31日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/5/30/224459.html)
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