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私は本当に幸運で、本当に幸せです(二)


文/中国の大法弟子・軽舟

(明慧日本)

 一 利益を追求する心を取り除き、平静な心を保つ

 利益を求めて永遠に満足しない貪欲な心は、人間をとても苦しめます。修煉する前の私も、そのような一人でした。『転法輪』の中で師父は何度も得と失、利益への執着について道理を説かれました。「常人社会において、人々は奪い合ったり、騙しあったり、個人のわずかな利益のために人を傷つけたりしますが、こういった心は全部捨てなければなりません」 自分のものなら、無くなることはないし、自分のものではなければ無理に争っても得られません」(『転法輪』) 

 『転法輪』で説かれている通りにすれば、本当に平静な心を保つことができると私は実感しました。

 修煉を始めた当初、私は家の近くで金のネックレスを拾いました。およそ3000元(日本円約4万円相当)の価値があるようです。私は妻に、「私は修煉者であり、このネックレスは持ち主に返さなければならない」と言いました。妻も『転法輪』を読んだことがあるため、2人で一緒に派出所に行き、「我々は法輪功修煉者です」と、ネックレスを届け出ました。警官は不思議そうな目で私たちを見ていました。もし、修煉していなければ、私はこのようにすることはできなかったでしょう。

 仕事の中で利益をめぐることは尚更多いものです。私はある程度、手に権力を握っている管理職なので、中元やお正月になると、下請け企業や同僚が祝儀や贈り物の類を送ってきます。修煉する前の私はいつも受け取り、さらに中元か年末になると、「おや、この企業はまだきていない」と気にかけたりしました。修煉してからは、下請け企業に「私は今法輪功を修煉しているので、受け取ることはできません」と伝えました。どうしても断れない場合、そのお金をボーナスとして部下に配ります。

  法輪功が中国共産党に弾圧されて以後、勤め先の党委員会のある上司は「法輪功はいったいどこが良いのか」と私に聞きました。「最も簡単な例を挙げると、修煉してから、私は収賄しなくなりました」と私は答えました。その上司はとても感慨深そうに、「我々共産党の幹部は、いくら教育を受けても収賄が絶えないが、法輪功は修煉者を清廉にさせた」と、その場にいた皆に話しました。

 勤め先で私は幹部昇進の審査を受けた時、ある上司が、「私は組織を代表するのではなく、一個人としてあなたの本音が聞きたいのです。今日の話は内緒にするから、法輪功は本当に素晴らしいものですか」と尋ねました。私は、「法輪功はとても素晴らしいです」と答えました。その後、彼らは非公開に私の身辺調査をした時、最近私が受け取って、まだ返却する暇がなかった高額の賄賂の金を彼らに渡して、「これは私が受け取った賄賂です。代わりに処理してくれませんか」と言いました。 

 私は収賄しないことをわざと彼らに知らせたい訳ではありませんが、今回、彼らに法輪大法弟子の素晴らしさを見せたいのです。彼らはとても恥ずかしくなり、調査を中止し、その大金はどこの会社から贈られたのかすら聞かなかったのです。

 正直に言うと、利益を追求しなければ、一所懸命稼いだお金を、誰(会社でも個人でも)がただで人に貢ぎたいでしょうか。お金を持ってくる人は、陰であなたを罵っているかもしれません。しかし、私にはこんなことはありません。私は管理職から離れてからも、かつて賄賂を贈った人たちも今まで通りに私と付き合って、以前よりさらに仲良くしてくれる人もいます。これは金銭や利益よりも大切な宝ではないでしょうか?

 もう一つの事例があります。組織調整のため、私はある新しく設立された部署の責任者になり、前の職場でずっと使ってきたノートパソコンを持ってきました。新しい部署で事務用品を分配する時、私は1万元(日本円約13万3千円に相当)相当の新しいパソコンを部下に配りました。トップの責任者として、新しいパソコンを使うのは何ら不自然でもないし、前の職場からパソコンを持ってきたことは誰も知りません。しかし、利欲への執着を取り除いた私にとって、新しいパソコンを部下に譲るのはごく自然な行為であり、自分のことを偉いとも思っていませんでした。ただ、その後、みんなが私を「素晴らしい人だ」と褒めていることを知った時に、自分のしたことは人にこれほど大きな感動を与えたのか、と初めて気づきました。

 (続く)

 2010年6月3日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/5/21/223940.html
(English:http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/5/26/117409.html

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