■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/06/07/mh085090.html 



佛光が太行山を照らす(一)

文/河北省の大法弟子

(明慧日本)太行山脈(中国、山西省と河北省との境を南北に走る)に住む私は、しばらくの間、幸運にも師父に付いて大法の広まる過程を身をもって経験しました。今日、この貴重な歴史を記録して、皆さんと分かち合いたいと思います。

 一、1993年北京の「東方健康博覧会」で初めて大法を知った

 (1)師父を河北省石家庄市に招待する

 1993年12月、私たち一行は「石家庄市人体科学研究会」の代表として「東方健康博覧会(以下「博覧会」と略称)」に参加しました。私は博覧会から。気功大師を石家荘市にまで招待する使命を頂きました。この機縁で、私は幸運にもはじめて李洪志師父にお会いしました。

 「博覧会」に着いたら、私は法輪功のブースに行って、1冊の本を手にとって師父にサインをしてもらいたかったのです。サインを求める人はとても多くて、私は並ぶ行列の横に立ってどうしようと困っている所に、師父は私に「本を取ってください」と合図しました。私は並んでいる人ごみの頭上を越して本を渡し、師父は手を伸ばして人々の頭上から本を取って、「李洪志、1993年12月12日」の文字を書かれました。サインが終わって、師父は微笑んでまた人ごみの頭上から本を私に渡してくださいました。これは、私にとって一生忘れられない一時です。

 翌日、私たち一行は「博覧会」を主催した「中国気功協会」の費徳泉主任に会って、どの功法が良いかを尋ねました。彼は強く法輪功を推薦しました。それで、私たちは「石家荘人体科学研究会」として師父を招待し、石家荘市で1994年3月3日に説法をする契約を師父と結びました。

 (2)「博覧会」で法輪大法は大人気

 「博覧会」で私は会場全体を回りました。ホール左側の3分の1のスペースは各種気功のブースで、ホール真ん中は漢方医と西洋医学を含む全国各地の名門医者の診察ブース、右側は磁力療法、医療器械のブースでした。他のブースはあまり人が多くないのですが、最も人が多いのは法輪功のブースでした。初日から最終日まで、法輪功のブースの前に3つの行列ができて、長い行列はホールの入り口まで延びました。

 師父に治療を頼み込んだのはほとんど様々な難病に罹っている患者で、全国各地から車椅子の人や担架に乗せられた人がブース前まで運ばれました。時々ブース前の込み合う人ごみから、「法輪功は病気を治せるんだ!」、「法輪功の治療は速い」、「病気が治った! 治った!」、「本当に不思議だ」という声が聞こえて、拍手の音、喝采の声、感謝のお礼の言葉、泣き声も聞こえました。また「恩人だ、命を救ってくれた恩人だ!」、「現世の仏様だ」と叫んで、ひざまずいていた人も見ました。これはすべて私がこの目で目撃した真実です。

 「博覧会」最終日になると、漢方医と西洋医学の専門家、右側の医療器械販売の人たちはみんな自分のブースを置いて、師父に治療を頼みに行ったのです。私はある年配の漢方医に、「どうしてあなたも気功師に治療を頼むのですか」と聞くと、彼は少し顔が赤くなって、「彼(師父を指す)は病気を根こそぎ治療できますが、私にはできません」と答えました。先日、私はこの漢方医に診てもらった時、彼は脈を診て、最後に「あなたはやはり気功師に診てもらったほうが良いですね」と言ったのです。

 (3)ほかの功法を抜きん出る法輪功

 「博覧会」最終日の午後に、師父の講習会が設定されました。師父は講習会のチケット収入を「義勇基金会」に寄付しました。

 李洪志師父は「博覧会」のグランプリである「学際科学進歩賞」を受賞し、また「特別金賞」と「人気のある気功師」の称号を受けました。今回の「博覧会」で最も多く奨励された気功師は、李洪志師父でした。

 私は「博覧会」で師父を初めて見た時、師父はとても若くて気品が高いと感じました。「この方のような人を師父にすることができれば、なんと良いことでしょう」と思いました。サインをして下さった時、和やかで親しみやすい笑顔は、私自身、疑う気持ちがふっ飛びました。

 (続く)

 2010年6月7日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/5/21/223935.html

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