正法修煉において、向上する(四)
(明慧日本)
三、自分の「私」に気がついた
ずっと一人で修煉している母が、トロントに来ました。中国にいる時、母と別居していたので、法理の交流が少なかったのです。私がトロントに来てからは、母は国内でどんな事でも1人で対処し、苦しかったのです。しかし、師父がおっしゃった三ついませんでした。母はカナダへ来て修煉したいと言うので、難民として来ました。いろいろなトラブルがあり、私たちは常に口喧嘩をしています。私は自分の心性が高いと思っており、母の行為や話はすべて常人のようだと思い、とても嫌でした。
難民を申請すると、写真を撮らなければなりません。法輪功の活動があるとすぐに写真を撮りに来る難民申請者がとても嫌でした。しかし、やむを得ず私も写真を撮りました。母は苦しくて、常に泣いていました。カナダに来なければ良かったと言うばかりで、それを聞くと腹が立ち、口喧嘩をするようになりました。その状態が何カ月も続いたので、2人とも生きるのは大変だと感じました。
師父は『転法輪』の中で、情を捨てなければならないと強調されましたが、私は真に捨てたのでしょうか。なぜ、他の同修に優しいのに、母への態度は良くないのでしょうか。今年、神韻の「山を開いて母を救う」という舞踊を見ましたが、その中の内容にショックを受けましたが、母が天理に背いたら、母の罪を滅ぼすためにその子どもは数十年をかけて苦労し、修煉を続け、母を救うのです。なぜ子どもに救わせるのでしょうか。師父や、または他のレベルが高い人が救えばいいではないでしょうか。さらに、なぜ数十年もかけなければならないのでしょうか。『転法輪』を何回も読みました。第6章の「親だろうと子供だろうと誰に対しても同じように、何事につけてまず人のことを優先に考えるならば、それはもはや私心ではなく、慈悲心によるもので、慈悲そのものです」という法を、本当に理解したのでしょうか? 母に対する態度から、自分は利己的だと気付きました。
以前、母は私が修煉することをとても反対し、魔に操られ、私を妨害したため、地獄に落ちるべきだと思いました。しかし、中国本土の同修に助けられて、修煉することができて本当に驚いたのです。母に「私が6年ぐらいずっと言っても聞き入れなかったのに、なぜ他の同修が伝えると信じるようになったの」と聞きました。母は「同修は態度が優しく、お前は態度が悪いから」と言いました。私の「私」は すべては自分のためです。自分のメンツがつぶされることを恐れていたのです。心性について交流した事がないので、何かあったら交流し合うようになり、他の同修の向上の助けにもなります。母は、積極的に大法の活動に参加し、自分のことを修煉者として自覚するようになり、私はとても嬉しいです。
法理が私たちの矛盾を解かしてくれるにつれて、お互いに助けられ、共に歩むようになりました。いつか、すべての同修を自分の親戚と見なすことができれば、「私」を捨てることができるにようになり、師父の広大な慈悲を感じることができます。
(続く)
2010年6月8日
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/6/1/224637.html)
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