■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/06/10/mh114931.html 



師父のおっしゃったことはすべて真実である

文/中国の大法弟子

(明慧日本)私が法輪功を修煉し始めたときに、私と岳父(妻の父のこと)に起きた不思議な出来事について、みなさんと交流したいと思います。

  酒をやめた物語

 法輪大法を修煉する前、私は気功愛好者でした。周易を深く研究して、人間と将来を予測することができました。しかし、解決できない多くの問題も生じていました。例えば、人の運命はどうして決まっているのか、人の人生、ひいては社会全体の発展はどうして事前に決められたとおりに進んでいるのか、そして誰がこのすべてを按排しているのか? 周易について書いた書物の中では和尚の運命は正しく予測することができない、なぜなら変えられたからだ、と書いてありましたが、これはどうしてなのか、などなど。

 1997年旧暦の1月5日、私は実家に帰りましたが、両親の隣に住んでいる法輪功を修煉していた人が、両親の具合が悪いのを見て、法輪功を勧めてくれ、『中国法輪功』(修訂版)を持ってきてくれました。当時、やることがなかった私はその本を読んでみました。読んだら、すぐ引き付けられました。なぜなら、本の中には私が今まで困惑していた、分からなかった多くの問題について、答えがあったからです。その後の数日間、私は多くの書店を回りましたが、その本を見つける事ができませんでした。

 旧暦の1月10日に姉の家に行って食事をしましたが、その時、両親はすでに修煉を始めていました。私が法輪功を修煉したいというと、大法の書籍を1セット持ってきてくれました。書籍を貰った私は、のどが渇いた人が水を飲むように読み始めました。食事を始める前に、修煉を始めたばかりの母は私に「修煉したいなら、喫煙してはならず、酒を飲んではいけないよ」といってくれました。タバコを吸ってはいけない、酒を飲んではいけないって? 当時私は困りました。私は会社の中堅幹部で、常に接待があり、お客さんと付き合いしなければならず、毎日1箱のタバコを吸っていました。タバコと酒をやめることはできないと感じました。この時、おかずはすでに食卓に運ばれて、姉は私たちを座らせ、姉婿に酒のカップを用意させました。みんなの前に、ひとつずつ置かれていましたが、私はこの酒を飲まずにいられるだろうか、と心の中で考えました。

 姉婿は酒のボトルを持って、キッチンの入口まで歩いてきたとき、姉が彼に「かまどの上のおいている釜を持って来て」と言いました。姉婿は釜を取るために、酒のボトルをそこにおきました。しかし、釜を持ってキッチンからでようとするとき、酒のボトルが見つからなくなりました。姉も探しに行き、子供たちも一緒に探しましたが、どうしても見当たりませんでした。姉は、一体どこに置いたの、と姉婿に聞きました。姉婿も「本当に不思議だ! 私はついでにドアの入口のところに置いただけなのに、どうして見当たらないのか?」と言いました。姉は、見当たらなかったら、もう一本買ってこないと、と言いました。目の前でおきたこのすべてを見ながら、法輪功の書籍を読み始めたばかりの私は、これはほかでもなく、師父の法身が私を悟らせていらっしゃるのではないか、と悟りました。私は慌てて、私はちょうど酒を飲みたくないし、お腹が空いているので、ご飯を食べましょう、といいながら、ご飯を碗に盛って、食べました。

 食事が終ったとき、姉が叫びました。「酒のボトルはそこにあるではないの!」と。姉が指差すところを見ると、酒のボトルはまさにキッチンの入口のところにありました。食卓の周りに座っていた人にも見えるところでした。しかし当時誰にも見えなかったのです。こうして、私は大法の不思議を体験し、書籍の中に書いてあった「佛性がいったん現われると、覚者(かくしゃ)たちはその人を助けることができます」を体験できました。私が大法の書籍を読み、修煉しようと思う心が生じたため、すなわち佛性が現れたのに、タバコと酒に対する執着を放下できないのを師父は目にして、こういう方式で私に悟らせてくださいました。それから私は確固たる信念をもって、大法修煉の道を歩んできました。

  真偽は悟りによるもの

 私が修煉した後、妻と岳母も法を得ました。岳父は私たちが修煉して心身に起こった大きな変化を目にして、この功法はすばらしいと認め、他の人に紹介しましたが、彼自身は修煉に対して、神佛を信じませんでした。

 ある日、岳父は私たちが煉功しているのを傍で見ていたところ、天目が突然開きました。壁に書かれている師父の法像がぴかぴかと金色に光って、法像の師父の目も動いていました。このことに岳父は大いに驚き、それから修煉の道を歩み始めました。

 修煉をはじめた岳父は悟性が優れず、一度病業の関を乗り越えることができませんでしたが、かえって師父の説法のある部分を実証しました。経緯は下記のとおりです。

 岳父は修煉してまもなく、消業の状態が現れました。その現われとして、肝臓の部位がとても痛かったのです。家にいるとき、とても痛くなると、これは体が浄化されているということを忘れてしまい、私と息子に病院に送ってもらおうと思いましたが、どうしても私たち2人の電話番号が見つかりませんでした。そして、隣の人に頼んで病院に送ってもらおうと思いました。しかし、隣のドアをノックして、住んでいる人に何か用事があるのかと聞かれたとき、彼は突然ちっとも痛くなくなったのです。すべての「病気」の症状が消えました。彼はとても不思議に感じ、ただ話し合いたくて来ましたといいました。隣の人が岳父の自宅に来たとき、彼はとても元気で、2人はとても長い時間、話しました。しかし、隣に住んでいる人が帰ると、すぐまた痛くなって、耐えられませんでした。師父がこれほどはっきりと悟らせてくださったのに、岳父はかえって悟ることができず、痛みを我慢しながら、自分で病院に行きました。

 病院について超音波検査をしたら、胆管が結石により、塞がれていたということでした。表面からみても、皮膚が黄色くなって、胆管が塞がれた症状であり、手術をしなければなりませんでした。このとき、岳父は自分を完全に1人の常人とみなしていて、手術をすることに同意しました。手術をする当日、麻酔を担当したのは主任薬剤師でした。まるで『転法輪』で語られたとおり、「ある学習者は病院で注射してもらったところ、なんと注射器の針が何本も折れ、最後には薬も噴出してしまって、どうしても注射ができません」のとおり、薬剤師は彼に7回麻酔薬を注射しようとしましたが、失敗しました。薬剤師も「本当におかしい? 一生でこんなことに出会ったことがない」と言い続けました。

 仕方なく主任薬剤師は岳父に「もう一回試してみます、もし、また失敗したら、あなたに全身麻酔をするしかありません」といいました。岳父はそれでもどういうことか悟ることができず、うなずいてそれに同意しました。結局8回目に注射できました。肝臓部位を開いてみた医師は岳父に「あなたの病状はとても特殊です。結石が多くなく、胆管を塞ぐほどでなく、また皮膚がそれほど黄色くもなく、それほど痛くもないはずですよ」と言いました。これはほかでもなく、岳父が当時痛くなったのは本当の病気ではなく、ただ業を滅しておられたからです。もし岳父が当時表面的な痛みを我慢できたら、その業力を消去することができたはずです。どのくらい多くの不治の病気を持った人が修煉の心をもったため、病症が消えたでしょうか!

 『転法輪』の中では「一つはっきりさせなければならないことがあります。一般の気功による治療と病院での治療は、どちらも病気を引き起こす根本的な原因である難を後半生あるいは将来に先送りするだけで、業力そのものは全然動かされていません」と書かれていました。業力が消去されなかったため、岳父の肝臓部位はその後にまたとてもひどい病業状態が現れました。

 以上、私が法を得た初期のことを書き出したのは、法を得たばかりの人、あるいは大法の書籍を読んだが、まだ修煉の門に入ってない、縁のある人に啓発したいからです。

  2010年6月10日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/6/8/225050.html

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