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人心を放下し 対面で真相を伝える(三)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)私は家に帰ってから学法しました。「修煉はほかでもなく修煉であり、修煉はつまり執着を取り除くことであり、人間の良くない行為と、あれこれを恐れる人心を含む、各種の恐れの心を取り除くことです。」(『至難の関から抜け出す』)を読んで私は次のことを悟りました。「自分には恐れの心があり(警察の制服を着ている人には真相を伝えたくない)、邪悪に隙に乗じられました」そこで、私は発正念をしてそれを消滅しました。

 対面して真相を伝える場合、私はだいたい人を選択しています。例えば、年寄りや子供連れの人、これらの人は受け入れやすく、安全だと思い、地位の高い人との間には距離を置きます。

 ある日、公園で市長と出会い、真相を伝えようと思いました。市長に近づくと、市長は少し微笑み、挨拶しているうちに、私はなかなか真相を伝え始めることができず、そのまま別れてしまいました。家に戻って、師父の『二〇〇三年旧正月十五日の説法』を読みました。その中に、「真相を伝える時、相手がどのような身分の人なのかを考えないでください。何かの心を抱かないでください。彼らはまず人間であり、皆自分の未来のために選択するチャンスがあります」と説かれています。大法弟子として世間のすべての人に真相を伝えるべきで、選択の機会を与えなければなりません。私のこの選別する心はなくさねばなりません。そして数日後、師父が私の心を読まれたように、私は再度あの市長に出会いました。真相を伝えた後に、この市長も喜んで三退しました。それから後は、局長、工場長、院長、校長などどんな職務の人にも真相を伝えることができるようになりました。

 時には中国共産党に洗脳されて、どうしても説得できない人もいましたが、その時にはよく闘争心が起きやすいのです。ある日、買い物をしている時、店の中で女性に真相を伝えましたが、彼女は受け入れず、次のように言いました。「今はとってもいいですよ。今、衣食が豊かになったでしょう。もう何も言う必要はありませんよ」私はすぐに彼女と論争し、次第に本気を出して落ち着かなくなり、発正念しながらその場を離れました。その後、私は内に向かって探し、自分に闘争心があるため、情に左右されたのです。それからは私はなるべく自分を抑えて人と争わず、この「闘争心」を取り除くように決心しました。今の私は時に嘲笑されたり、罵られたり、のけ者にされたりした時でも、もう不平や怒りることなどしません。いつも微笑みながら、善良な印象を相手に残すことができます。

 真相を伝える中にまだまだたくさんの人心が現れます。このすべてが私心の一種です。自分の感受を強調するのは、他の人の自分に対する態度や、自分の損得、安否など、これらはすべて私利私心です。一方衆生を救い済度するのは無私であり、人のためです。これらの私心は取り除かなければなりません。

 修煉の中で師父はいつもそばにいらっしゃると感じています。師父は弟子のために啓示され、弟子のためにすべてを尽くしていつも加護してくださっています。師父がいらっしゃらず、大法がなければ、私は今日まで歩んでこられなかったでしょう。私のしたことは師父と大法の要求にはまだまだ達していませんが、これから勇猛邁進し、正しい念を持ち、正しい行いをして三つのことをしっかりやっていこうと思っています。

 間違っているところはご指摘下さい。

 (完)

  2010年6月15日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/6/5/224891.html

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