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上流社会で真相を伝えた体験(六)

(明慧日本)

 七、「忍」を実行して尽きないほどの恩恵を受ける

 私は「忍」がよくできるほうです。常人の中で悪い習わしのある人が多くいます。彼らと接す時、私はいつも「忍」をしています。なぜなら、私達修煉者はエネルギーがあり、気をつけないと、相手の心を傷つけやすいからです。たまに私は強く我慢しており、さらに怒りたい時もありました。同修と接する時にもこのような問題があり、心の中では沸き返っています。

 「忍」を実行すればするほど、だんだん多くの人の尊敬を得ました。「忍」をすると、物事に倍の効果がもらえます。私は師父がおっしゃる恨みのない忍がまだ完全にできませんが、しかし、放下するものはみな自我であり、堅持するものはみな執着なのだと私は実感できました。

 私達修煉者は常人を遥かに越えていて、世と争わず、私心が少しもありません。実は、常人は私達と一緒にいることが好きなのです。この世で、権力とお金で人々の尊重を得るわけではなく、法輪功修煉者に「真、善、忍」の精神力が人々を震撼させ、尊敬を得ました。上流社会の多くの人から法輪大法への尊敬も得ました。

 現在まで、上流社会で真相を伝えることはまだ足りず、範囲はまだ小さいのです。上流社会で誰でも大法を高く評価する環境をまだ形成していません。昨年から、私は上流社会に真相を伝える項目グループに参加し、協調の仕事をしてみました。ずっと1人でやっていましたが、今は皆の協調人になりましたが、あまり慣れていません。私は自由自在だったのですが、現在は全体を見なければなりません。常に自己流と言われたため、心理的にあまり納得できませんでした。しかし、現在、私はこの問題を認識できました。

 同修の誰もが積極的に真相を伝える仕事をやり、効果も良かったのです。しかし、交流が足りないので、皆が個々の個人になっているように感じました。私達はみな修煉者ですので、同修への励ましは真の助けであって、仕事の形式と結果だけではないのだと私は分かりました。私達の修煉の道を振り返って見ると、最も幸せなのは皆と共に向上できたことです。このことを理解したとたん、私達の場にすぐに大きな変化が起きたのに気づきました。

 この巨大な法を正す大きな流れの中で、師父はすでに道を作ってくださり、最も本質的な難儀を引き受けてくださいました。私達の努力によっても環境を大きく変えました。残ったのは、私達が法に従って行なわなければなりません。もしこのチャンスをつかめず、かえって自我に執着し、ひいてはひどく執着するのなら、それは本当に衆生に責任を持たず、師父の恩に背くことになります。

 この文章は2005年から書き始めました。今年になって、やっと少しの体験を書くことができ、皆と分かち合えることができました。私の修煉は、実は非常に普通かつ平凡で、波瀾万丈というわけではありません。大法の中に溶け込むことこそ、私の生命にとってこの上ない幸せなのです。

 (完)

 2010年6月17日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/5/29/224518.html

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