最もやりがいのある、最も意味ある人生(二)
文/中国の大法弟子
(明慧日本)
正法修煉の道を歩む
迫害が始まり、同修に一緒に北京に行こうと誘われました。交通費が出せないので、出してくれると言いました。家で待っていましたが、翌日、同修は来ませんでした。私は別の同修と市の役所の広場に着き、間もなく、同修たちは続々とバスに乗って行きましたが、私は家に帰りました。
当時、私が法を得たのはあまりにも遅く、法理に対する理解は浅く、皆についていくことしかできず、どうすればよいか知りませんでした。師父は良い人で、大法は素晴らしい、師父と大法を固く信じ続ける、大法は悪い人を良い人に変えることしか知りませんでした。こうして、迫害の初期を乗り越えました。
迫害が始まってから、子供が中学に上がるため、引っ越ししました。そこには知っている同修はいませんでした。以前の同修に連絡する勇気がなく、1年間ずっと1人で学法と煉功をし、よく知っている人にだけ真相を伝えていました。
正月に実家に帰った時、小さい頃から知っている同修が、師父が説法された1年間の経文を持って来てくれました。経文を読み終わった後、顔中が涙にぬれていました。大法が迫害されている、自分は師父と大法のために立ち上がりませんでした。私は間違っていました。それから家に帰り、『転法輪』を読んだ時、師父は、今は正法時期の修煉だと悟らせてくださいました。
恐怖心があったため、地元の同修と連絡をとる勇気がありませんでした。そこで、他の地域に住む親戚の同修の所へ資料と『明慧週刊』を受け取りに行くことにしました。こうして1年が経ち、毎回持ち帰る資料は少なく、経済的にも困難で、資料を受け取りに行く交通費が出せなくなりました。その時、師父は同修の口を借りて、地元で資料と『明慧週刊』を手に入れることを悟らせてくださいました。こうして今も地元から受け取っています。
成熟に向かう
『九評』が出ると、急いで見ました。当時は妨害が非常に大きく、読んでいるうちに眠くなり、体が非常につらく感じ、10日ぐらいでやっと読み終わりました。正法は新しい段階に進展し、「三退」を進める時期だと知りました。「三退」は政治にかかわっているという考えはなく、三退を進め始めたのは身近にいる友人、知人、親戚などです。知っている人の中で1年ぐらい三退を勧めました。その後、恐怖心を突破して知らない人にも勧めることにしました。その時は、買物を口実にして勧めました。初めのころは回りくどく言っていたので長い時間をかけてやっと本題に入っていました。ある時、長々と伝えたのですが、脱党しませんでした。今は、真相を伝え、三退を勧める時、2言3言、言うだけで本題に入り、緊張せずに、相手も落ち着いて聞けるようになり、最後には、ほぼみんな脱党しました。今は毎週、真相を伝えることを続けています。友人、近所の人、親戚の一部は脱党しました。
法を実証し、衆生を救い済度し、真相を伝える過程で、個人の修煉に気を緩めることなく、師父がおっしゃった三つのことを曖昧にしてはならず、真・善・忍に従い自分を厳しく律しています。近所の人、友達、親戚などとの関係はよく、法を実証することと衆生を救い済度することに障害は起きていません。
この1年間修煉してきて、師父が大法修煉の中で、子供を大人にまで育て上げてくださったと感じました。今になってやっと修煉の意味を知り、自分の身の回りに起こったそれぞれの出来事は偶然ではなく、すべて人心を取り除くためにあるのだと認識しました。普段、思想の中の一思一念すべてに気を配り、どんな人心があるかを観察し、早く執着を取り除くようにしています。今では、トラブルに出遭った時、内へ向かって探し、外を見ることはありません。大きな事をする時は探りながら進み、師父が按排された新しい生活の道を歩み、自分のしたいことを勝手にすることはできません。なぜなら、師父の按排に大きな妨害をもたらすことになるからです。
私はこれを書いて、師父が常にご加護をして下さっているのを感じました。大法を修煉することはどんなに幸せなことなのか。この機縁を何よりも大切にし、師父から与えられた三つの事をしっかりと行い、師父の慈悲なる済度に背むかないよう、最善の努力をいたします。
法に従っていない部分があれば慈悲なるご指摘をお願いします。
(完)
2010年6月19日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/5/30/224312.html)
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