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周りの同修が落伍しないように


文/北京の大法弟子

(明慧日本)私は14年の修煉の道を比較的順調に歩み、多少の難がありましたが、師父の慈悲深い加護と啓示の下で難関を一つ一つ乗り越え、法の中で昇華し、高まりました。今日はこの機会に「周りの同修が落伍しないよう」について 話したいと思います。 

  1995年に私は1冊の『転法輪』を手に入れ、一気に読み終えました。過去にほかの気功を学んだ時に生じた疑問や不明な現象など解けなかったことが、全部解け、分るようになりました。内心とても落ち着き、やっと自分が探していた高次元の法を見つけました。もちろん師父が説かれた奥深い法理をすべて理解できず、疑問を持つこともありました。けれども、自分にとてもはっきり分かったことは人間として生きていくには必ず「真・善・忍」に基づかなければならないということでした。これこそ正しい理です。この修煉方法はよい、私はこれをやっていこうと思いました。 

  一、師父の説法を早く同修が見られるよう

  1999年大法が迫害され始めてから、法を勉強するグループが解散になり、師父の説法を拝読する事が出来ず、大法の情報も耳に入らなくなりましたが、師父の按排の下で明慧ネットの見方が分かり、ネットで師父の説法を拝見する事が出来たとき、本当に嬉しくて、周りの同修も見ることができないだろうかと思い、ためしにダウンロードをしました。しかし、それから間もなく、中共によりネットの封鎖が行われ、明慧を見ることが出来なくなりました。しかし、師父は同修に按排して封鎖を突破するソフトウェアを作ってくださいました。少しずつ書類をダウンロードして、印刷などを覚えるようになり、大法の資料を提供することをやり始めました。最初は単純に同修に一時も早く師父の説法、大法の情報を伝えたいと思いました。制作の過程で自分には、大法と同修に責任を持ち、細心に仕事をし、資料をきれいに印刷したあと、すぐに同修の手に届けるように務めました。初めは2人ぐらいに配って、しだいに数カ所の学法グループに提供するようになりました。

  法を正す進展に伴い、お守り、VCDの作り方、明慧への投稿、大紀元ネットでの「三退」、真相紙幣の印刷、書籍の印刷の仕方などを学び、周りの同修が学法する書籍と真相資料の問題を解決しました。この過程で、家族が支援してくれ、コピー機、CD−Rドライブなど資料の製作に必要な機器と材料を買い求めました。

  夫、息子と嫁、親戚の弟もよく印刷、コピー、資料の配達を手伝ってくれました(そのとき彼らは常人で、息子があとで修煉を始めた)、最も迫害が厳しい時期でも止まることなく、10年来ずっと周りの同修に提供してきました。

  これらのことは私がやったように見えますが、実際すべては師父の細心の按排でした。後で悟ったのですが、当初自分には「周りの同修が師父の説法を見られるようにしたい」という願望があったため、師父が按排してくださいました。同時に大法が私に知恵を開いてくれ、すでに疲労して、衰退し、鈍くなっていた私の脳を賢く、すっきり、鋭くしてくださいました。何もかもちょっと勉強すればすぐに身につくようになり、頭の中にはっきと分かって、どんな困難に遭っても解決方法が見つかり、時には問題を解決しようと考えるだけで、頭の中に一つの方策が浮かんできて、そのとおりにやれば解決でき、しかも時にはとてもよく出来上がりました。息子がよく口にする言葉は、「お母さんは本当に不思議なおばあさん!」 はじめこれは自分が大法を修煉しているからだと分かっていながら、少しうぬぼれていました。しかし、この14年の修煉と法を正す道を歩み続けてきて、このすべてが師父の按排で、自分はただ師父の慈悲の下で、師に従って法を正す先史の誓約の中でするべきことをしただけでした。

  二、落伍している周りの同修を助け 共に高まる

  2007年4月のある週末、数年見かけなかった同修に出会いました。彼女の状況はあまりよくありませんでした。私を見て彼女は非常に喜んで、「師父が私のことを見守ってくださっています。まだ見守ってくださっています。あなたが私を助けてくださいます」と何回も言いました。 

  彼女は1998年から修煉を始めました。修煉する前に関節炎に罹ったことがあり、その症状は非常に深刻で、両手とひざの関節は深刻に変形して、足を上げることもできず、歩くことが不便で、腰、脚、腕、肩などの関節の痛みも忍びがたいもので、腕を上げることもできませんでした。生活は基本的に自立できない状態で、外出は車椅子に頼っていました。修煉を始めて1年ほどで中共の迫害が始まり、以後彼女が引っ越したこともあって、かつての同修と連絡を失いました。この数年彼女は1冊の『転法輪』しかもっておらず、時には見ていますが、ほかに何ももっていませんでした。

  心の内で大法を放下してはいませんでしたが、しかし、迫害の厳しい中で、着実に修煉することがなく、しかもやったりやらなかったりして、体の状況はますますしんどい状態になり、毎日苦痛の日々を送っていました。彼女は「幸い師父は私をあなたに逢わせてくださいました。これからよく助けてくれるようお願いします」といいました。私も「安心してね、あなたに会わせてくださったことは偶然なことではない、必ず助けてあげます」と返答しました。彼女はかつて私と夫の同僚で、みんなでラーメンを食べながら話をして、彼女がとても感動していたことがわかりました。食事の後彼女を家まで送ったので、住む場所も分かりました。 

  師父の説法と『明慧週刊』などの資料を届けたとき、彼女は喜んで自分のことを話しました。「その日帰ってきて、とても元気になって、床の拭き掃除などの片付けがたくさんできました」と話しました。彼女のご主人がすでに亡くなっており、娘は一階上のマンションに住んでいて、彼女の修煉には賛成していると分かりました。それから私はよく彼女の家に行き、世話をして、いろんな資料を提供しました。例えばMP3で『広州での説法』、明慧ネットの「修煉の園地」、「空中明慧」、「予言の中の今日」などを、CDで『共産党についての九つの論評』、『神韻の公演』、『天安門の焼身自殺真相』、『オーストラリア学習者への説法』など、『済南での説法』のテープと煉功の音楽テープを提供しました。それ以外、毎回印刷できた資料、書籍もあげて、数人の同修に呼びかけて彼女の家へ学法と交流に行き、同修の修煉のストーリも話しました。彼女はもう一度修煉の道に戻ってきたのです。

  再度修煉を始めてから、彼女の体はだんだん変化が見えました。動くのはまだ困難のようでしたが、自ら階段を上り、降りることができ、「法輪大法はすばらしい、真善忍はすばらしい」と念じながら上るときは、とても楽に感じたそうで、外出にも車椅子はいらなくなり、家事もアルバイトさんがいらなくなり、自分でできるようになりました。毎回行ったとき「師父が助けてくださった、師父と大法がなければ今の私はない、娘も孫も私によく修煉するよう励ましてくれています」と師父への感謝の言葉を話しました。

  彼女に早く法を正す進展についてくるよう、彼女を連れて昔からの同僚の家に真相を伝えに行きました。1人の同僚が彼女をみて、「前回来るときには車椅子に座って来たよね、今日は自分で歩いてきたね、この変化はあまりに大きい!」と喜んで言いました。この話題で真相を伝え「三退」を勧め始め、直ちに2人が少先隊を脱退しました。もう一度彼女の昔のお隣さんを訪ねて真相を伝え、老夫婦2人とも脱退しただけではなく、私たちに大法の本を求めました。 

  修煉の進展に伴って、難も表れました。薬への執着がずっと放下できなかったことで、学法と煉功も緩み、病業がやってきたとき激しく、時間も長かったのです。私も彼女の家へ行くのですが、しかし、彼女の状況はずっとあまり変わらず、しかもますます悪くなっていき、毎日マンションの下で無駄話をし、時には常人と喧嘩もして、体がどうして痛いのかも悟らず、病気を治す薬を探そうとたくさんの工夫をしていました。また私に修煉を放下しようと考えているとも言い出しました。 

  彼女の様子を見て、私は心の中で「もういいよ」という考えも一瞬出てきたこともありました。でも直ちにこれではいけない、こういう考えはあってはならないと意識しました。師父は一人も大法弟子を落伍させたくありません。師父は『二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法』でこう話されました。「修煉している人なので、人心があるから修煉できるのです。このような人は古傷に触れられたくないため、時に弁解しますが、それは見下されることを恐れているからです。ですから、いずれにせよ、出てきたら、彼はまた大法弟子のこの環境に戻るので、皆さんは彼らを押し出してはならず、彼らと親しく接し、ある程度の暖かさを与えるべきです。彼らがどのように考えても、行動や観念に皆さんとどのような違いがあっても、徐々に理解できるようになり」、「心を広くし、彼らは皆さんの同修であり、皆師父の大法弟子なので、彼らに対して寛容であるべきです」、「大法は金剛を熔錬することができるのに、私たちはなぜ一人の人間を熔錬することができないのでしょうか? 大法弟子の環境はどの環境よりも優れています。皆さんの正念が強く、大法弟子の間の協調もよく、トラブルが少なければ、人を救う力はさらに強くなります」(『二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法』)

  何回も師父のこの部分の法を読み、涙がぽろぽろ流れてきました。師父は彼女を見放したくないため、私を按排して助けてあげているのに、旧勢力が彼女を引きずり落そうとしているのです。私は絶対に旧勢力の按排を認めません。内に向かって探すと、まず彼女が高まり始めたところで、自分に歓喜心、満足心が生じ、思想が緩みました。もう一つ師父が按排してくださった道を歩んでいなかったことです。そこで彼女と学法グループを作って、彼女に安定した学法の環境をつくりました。1回目のグループ交流会で彼女のスケジュール、学法、煉功、発正念、資料を見る時間および生活の流れを決めました。彼女も喜んで必ずこのスケジュールを守ると言いました。

  それから今まで彼女はずっと堅持して、状態も回復しました。師父が私たちに残してくださった道を正しく守り、師父の話を聞けば問題ないと信じます。

  三、姑を助ける

  姑は今年79歳になります。当初大法を修煉していました。1999年邪悪が大法を迫害してから、恐れる心で修煉を継続できませんでした。しかし、内心では大法を放下できず、毎回家にいくたび私が大法のことを話すことを聞きたがっていました。しかし、その後、脳血栓と老人性痴呆にかかって、記憶力がたいへん衰えてしまい、身内の親戚への記憶も失いました。ただ大法だけはまだ覚えていて、私について「法輪大法はすばらしい、真善忍はすばらしい」と言いたがりました。また私について『洪吟』の中の詩も暗記できました。大法は姑の心の中に深く根を下ろしていました。 

  2009年6月、見舞いに行ったとき、病状がひどくなり、ものすごく痩せて、目もどんよりして、意識がはっきりせず、話すことさえできなくなり、失禁して、体に多く床擦れが出来て感染しており、ものも食べられず、自ら寝返りもできず、毎日意識がはっきりしない状態でした。病院へ行くと、医者は「病状は非常に厳しい。肺感染していて発熱があり、血圧は高い、血糖は高い、脈が速い、腎機能は衰えている。床擦れはひどく感染し、栄養不良でカリウムなどがものすごく欠けている」と言い、また「使える薬をすべて使い、とるべき手段も全部取っても、少しも良くならないかもしれない、無駄になる可能性も十分ある、心の準備をしたほうがいい」と言いました。姑は床擦れを防ぐエアベッドに寝かせ、胃に管を入れ、尿管も差し込んで、酸素をつけ、注射するなど、いろんな治療と手当てを受けましたが、どうなるかわからないままでした。

  友人が中医学の医者で、姑を見にきたとき姑の脈を診ました。「お母さんの余命は長くない、左腎臓のその元の気は散りきっており、心の準備をしたほうがいい」と言いました。もう1人の経験豊富なお年寄りは、「彼女の額のしわは全部開いている、何を意味するか分からないですか? もうだめだよ」などと言い、いろんな話を聞いた結果、家族は死後の準備を始めました。 

  このことで私は一念を生じました。「私は必ず姑に法を勉強させて人生最後の道を歩ませたい。姑に悔いと遺憾を残したくない」と考えました。毎日姑のベッドの前で「法輪大法はすばらしい、真善忍はすばらしい」、『洪吟』、『論語』などの大法の経文を念じ続けました。4日目、病院に着いたとき、看護師さんが嬉しそうに教えてくれました。「おばあさんの体温が下がってきて、脈もそんなに速くなくなりました」 この機会を借りて私は看護師さんに真相を伝え、彼女は三退をしました。

  姑の病状は奇跡的に一日一日回復して、各検査の結果も基本的に正常になりました。主治医は喜んで「このお年寄りの生命力は強いですね、意外に回復してきました」と話しました。20日前後で胃に管を入れなくても食べられるようになり、25日に姑は退院しました。 

  退院した後、生活上で細心の看護をしました。一方で姑に『転法輪』を読み続け、師父の説法の録音と大法の音楽を流して聞かせました。現在まで退院して2カ月たちましたが、奇跡が絶えずあらわれてきました。まず瞳は生き生きしてきて、意識がはっきりするようになり、過去何年も失った記憶もだんだん回復し、身内の人の名前を思い出し、自分の名前とどこの人であるかも分かるようになり、寝返りもできるようになり、外出した時挨拶をしてくれる人に自らうなずきました。嬉しそうに人の後に「法輪大法はすばらしい、真善忍はすばらしい」と言い、法も喜んで聞いています。時には簡単な煉功動作を教えてあげたら一緒にできるようになりました。

  このすべてが薬物と治療手段では不可能なことです。これは大法の神威と師父の慈悲が姑の体に表れたのです。一緒に学法を堅持していけば、もっと奇跡が現れることも可能です。 

  私は必ず師父の慈悲深い済度に申し訳が立つよう、正念を強め、自分の先史の誓願を果たします。

 2010年6月19日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/6/8/225029.html

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