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修煉の道をしっかり歩もう(一)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)1997年の秋ごろ、私は市内の図書館2階で放映される師父の説法ビデオを見ました。当時、この説法はとてもよくて、知識も広く、法理もはっきり説かれていると思いました。しばらくして、人民映画館でも師父の説法ビデオを放映すると聞いて、再度行きました。当時たくさんの人がいて、廊下の通路にもすべて座っていました。放映中に静かに聞いて、この場面はとても印象的で、その後、私も修煉の道を歩みました。

 1999年7.20の迫害が始まり、各会社および民生委員から大法の本を没収され各自登録するよう要求されました。ある日、退社して団地の入り口まで来て、宿直室から「法輪功をやっていた人は、その本を各自で老年クラブまで納めてください」と言われました。一緒にいた同修が「しますか」と聞いて、私は「大法の本を授けられた時に、彼らのお金を使っていないのになぜ渡さなければならないの? 私は彼らに管理されるべきでもないし」と固く拒否しました。この固い念で、私は安全に乗り越えました。

 我が家は大家族の中に、5人の大法弟子と2人の大法小弟子がいます。私たちは一つの全体となり、修煉者の「無私無我」の自覚を持って、家族の人々に感謝し、大法の素晴らしさを見せているため、皆も相変わらず大法を支持し、保護しています。

 最初に真相資料を貼り付けに行くとき、私はいきなり大通りに行きました。修煉していない主人と息子も一緒に行って、農業銀行の入り口のところで、主人は「貼っておこう」と言って、私は階段を登って貼り付けました。この時に正面から2人の若者が来て、主人と息子二人が傍にいるのを見て、自分自身が心細くなり路地裏の中にじっと待っていました。私たちが終わって主人が帰ろうと言って、道路を渡ってから先の二人がやっとこっそりと出てきました。

 これは師父がご加護されていると分かっています。私は最初は分からなかったのですが、徐々に模索して、真相を伝えるいろいろな方法が分かりました。

 三退を勧めることが始まってから、私と家族の同修と一緒に自分の親戚から初め、田舎の実家まで行って、できる範囲で全部一通り連絡しました。そして、500万人が脱党した時点で、私たちの実家の親戚全員が脱退しました。そして隣近所、友達、同僚から着手して、自分の修煉の経歴を説明して、2005年の定年退職までたくさんの人に三退をさせました。

 定年退職してから私は師父のご加護の下で、家族の同修と一緒に家庭資料点を建てました。2008年、私はITに熟知している同修と会いました。以前はずっと自分が平穏に修めていて、師父に按排された道を確実に歩んでいると思い込んでいました。この同修と接触してから、私は窓を開かれたように自分の心にずっと隠されている執着を見ました。その顕示心、闘争心、負けず嫌いの心、特に固執し自負の心がずっと私を包んでいたことを、同修に「もう自分の容量を拡大しなきゃ」と言われた時点で、豁然(ぱっと開けたようす)と私は悟りました。それから、私は少しずつ細かく自分の執着心を探して、その心を放下しようとする時に旧勢力の妨害にも遭いました。あの数日間、頭の中で何もしたくなくなり、とても怖い念が頭に湧いてきてした。当時の私は高いところから墜落したように、精神的に落ち込んでいました。

 (続く)

 2010年6月19日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/6/5/224892.html

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