心理学修士:『転法輪』を通読して
文/中国の大法弟子
(明慧日本)私はずっと神秘な心理学に憧れを持っていたので、大学では心理学を専攻しました。心理学を勉強するにしたがって、自分の道徳や考えが高まらないのに、実証科学に基づいた心理学は、研究すればするほど、往々にして結論が現実と違っていることに気がつきました。
その後、李洪志先生が広州で説かれた法の中にある、「夢遊病」についての解釈を聞き、とても不思議で、これこそ「夢遊病」の正しい解釈だと思いました。なぜなら、「夢遊病」は心理学ではどうしても解釈できない謎です。法輪大法弟子の言う「李先生の著作を読めば、頭がさがるのです」 また、ある常人の学者によれば、「李洪志先生の本を研究しましたが、彼のすべての理論は系統的で、貫通した思想です」と言うのです。
『転法輪』を2回読み終えましたが、1回目は、よい人として生きることがわかるようになり、以前の考えは間違っていませんでした。なぜなら、以前、常にいい事をしたのに、人にあざ笑われ、自信がなかったのですが、『転法輪』を1回読み終えて、自信がないという感覚がなくなったのです。
法輪大法の中の法理は、心理現象の解釈をした心理学より、分かりやすく、明らかです。例えば、夢や、「心が想う」などです。
しかし、心理学とは一体何でしょうか? 一般の心理学の教科書は次のように定義しています。「心理学は心理現象及びその規律を研究する科学である」 すなわち、心理学は現象を巡って解釈し、その現象により、規律を纏めるというものです。しかし、法輪大法は直接その現象の根本的な事実を教えているのです。
見ることが出来ず、証明することができない原因は個人のレベルが限られているからです。師父は『博大』の中で、「その博大で奥深い内涵(ないかん)は、修煉者だけが、真に修める異なる次元の中で体験して悟ることができ、目の前に現れてくるもので、そうして初めて真に法とは何かが分かるのです」とおっしゃいました。心理学を遥かに超えていることは当然なことでした。
「心が想う」という言い方は現代科学に承認されないのですが、心理学の教科書の中では、中国の昔の「心之官則思」(心は脳と同じ思惟器官と見なし、心が思考の役を果たしている)という言葉に明らかに反します。なぜなら、心理学によると、心理現象は客観的な事実に対する人間の脳の反映によるもので、人間の脳こそ思惟器官だと見なすのです。「心之官則思」という言い方は、科学技術が極めて低い時点で生まれた誤った認識だと解釈しているのです。「心が想う」については、李洪志先生が『転法輪』の中で、明らかに説明しておられます。
ある常人は「あなたは心理学の修士で、さらに今は博士課程で学んでいるのに、どうして法輪功を信じるのですか?」と私に聞きました。1999年、法輪功が弾圧された後、指導教授は「あなたの先生として、説得することができないです」と言いました。その時、真相がわからない家族と友人もつれなかったのです。「心理学を研究する修士なのに、法輪功に騙されたね」などとあざ笑われました。
現代科学、現代教育、特に党文化に培われたいわゆる高級知識人が、本当に事物を認識できるでしょうか?
私に存在していた思想障害は修煉を通して、取り除いたのです。異なる階層、異なる職業、異なる背景にいる法輪大法弟子が、異なる難があっても、動揺せず、法輪功を修煉する原因の一つは、修煉する思想障害を取り除いたからです。師父は「法は一切の執着を打破することができて、法は一切の邪悪を打破することが できますし、法は一切の虚言を打破することができて、法は正念(しょうねん)を固めることができるのです」と言われました。
どんな生命が大法を評価する資格がないか知っていますが、佛法の真理をわずかにすこし悟った私は心で、「法輪大法は本当に素晴らしいです」と叫びます。これは、一つの生命の根底からの感動と覚醒なのです。
2010年6月19日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/6/11/225071.html)
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