顕示心が強い同修との交流 文/中国の大法弟子
(明慧日本)
一、しっかり学法することは、大法弟子が円満成就する根本的な保障です。法を暗唱する目的は、法に同化し、三つのことをよりよく行なうためです。なぜなら以前、しっかり学法できていなかったので、迫害が私達大法弟子に多大な損失をもたらし、深刻な教訓となったのです。その後、私たちは学法の重要性を認識し、多く同修は身を入れて行いました。ある同修は『転法輪』を少しも間違いなく暗唱することができ、時々刻々と法に浸り、表れてきた奇跡が多いのです。しかし、ある同修も法を暗唱していますが、潜在意識の中に隠れている顕示心が時に現れ、その顕示心の影響で、法を暗唱する体感や経歴を皆に言う時、常に自分自身を証明する要素があり、法を利用して自分を良く見せているようで、修煉の神聖な感じが全くなかったのです。
そのため、顕示心が強い同修は注意しなければなりません。最後になって残っている時間はそれほど多くないですが、顕示心は修煉者としてとても悪い心で、取り除かなければならないのです。私たちはどんなことを上手くできても、あるいはどんな神通が出ていても、法を何よりも重視しなければなりません。法がわれわれに智慧と法力を与えてくれたのですが、修煉者自身が偉いというわけではありません。明慧ネットに掲載された、法を暗唱することに関する交流が私達を励ますことができる原因は、同修が純粋な念だからです。もし、自分のことを顕示しようとすれば、私達を励ますことはできないと思います。
二、明慧ネットが「大道無形の道をしっかり歩み続けよう」という知らせを掲載してから、多くの同修は法から認識することができ、さっそく修煉中の悪い状態を正すことができました。しかし、ある少数の同修は「大道無形の道をしっかり歩み続けよう」を口実として自分の執着を覆い隠し、三つのことに対する認識が足りず、他の同修と接することなく、独修の状態に陥っているのです。さらに、ある同修は、大型の交流会を開催することに執着し、安全に全く注意しないで、しっかい学法していない同修を連れて、あちこちの交流会に参加しています。私達は自分に責任を負うだけでなく、同修の安全も重視しなければなりません。さらに、法に基づき形式を重んじず、三つのことの効率を重視するべきで、穏やかに大道無形の道を歩み続けましょう。
三、ある同修は、自分は自分の才能に執着しているので、時には自己主張の激しい意見を出し、自分をイエス・キリストのように比喩したり、あるいは家からなかなか出ていない同修に狂言を言ったり、自分自身がどんなに深い法理を悟ったのかを顕示したりします。法輪大法の弟子は本当に素晴らしいのですが、自分の素晴らしさを褒めることはよくありません。
自我に執着している同修は、必ず心を修めなければなりません。自分を大法弟子の中にしっかり置き、師父の話を自分の話として言うことはやめた方がよいのです。狂言をいったり、謙虚にならず、理知的にならないなど、すべての執着は向上の障害となります。
共に自分の悪い状態を正し、誓約を果たしましょう。以上は自分の認識ですが、ご慈悲にご教示ください。
2010年6月22日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/6/18/225566.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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