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姑と母親の修煉の物語

(明慧日本)私は1996年5月に法輪大法の修煉を始めました。私たちの家族は皆大法と縁があり、次々に大法の修煉に入りました。きょうは私の母と姑の修煉の物語を話します。

 夫の母はある宗教の信者でした。私が大法を学び始めると、姑はいつも自分の宗教の話を持ちだして私と論争しました。当時、私は師父の講法ビデオと『転法輪』を1回しか拝読していませんでした。当時、煉功場では毎日煉功と学法の後、一つの修煉の物語を読みました。内容のほとんどは病業を消すことについての心得でした。煉功場から帰宅した後、私はそこで聞いた物語を姑に伝えました。

  冬が来ました。姑は慢性気管支炎があり、喫煙をしているため、唇が紫色になり、毎朝起床後に咳と痰がたくさん出て、5分も立つことができませんでした。彼女は「私は大きな麻袋にいっぱい入るほどの薬を飲みました」と言います。李先生は「彼女の命は残りが少ないですから、優しくしてあげてください」と私に言われました。ある朝、私が「法輪椿法」をしているとき、彼女は好奇心で私の動きをまねて、意外にも最後までやりました。姑は「今までこんなに身体が軽く感じたことはありません」と嬉しそうに言いました。それから、姑は修煉に入りました。

 1カ月後、姑の慢性病は完全に消えました。それから、私は家に煉功場を作りました。姑は字が読めないので、毎晩孫と一緒に私たちが法を読むのを聞きました。しかし、大法の修煉は心性を修めることが必要です。姑には一つの大きな執着心がありました。以前、彼女は私に「自分が死んだ後、あなたが家の隣に他の人が家を建てることを許したら、私は鬼になっても絶対あなたを許しません」と言ったことがありました。

  彼女は負けず嫌いの心があるため、近所の人たちと仲があまりよくなく、何度もけんかをしたことがありました。彼女が修煉して1年後、東隣の人が新しい家を建てました。姑は「私は大法弟子ですから、心性を守らなければなりません。師父の教えられたとおりに対応します」と言いましたが、あの杭を打つ音は彼女の心を激しく打ったようでした。私たちの家の1メートル先まで隣家が迫ってきたとき、彼女は「忍び難きは忍びうる、行ない難きも行ないうる」と黙読し、数回、隣に行こうとして出た後、すぐ戻り、「出て行ったら私は常人になる、放下したら私は修煉者ですね。法と人間はどちらが大きいでしょうか?」と自問しました。私は彼女の心の辛さが分かりましたが、彼女がこの執着を乗り越えて向上したことを大変嬉しく思いました。

 ある日、姑は『転法輪』を持ちながら、「私はいつ字が読めるようになるでしょうか」と言いました。一度、私は彼女に「真」という字を教えて窓のところに置きました。私の4歳の子供はこれを覚えましたが、彼女は全然覚えられませんでした。慈悲なる師父は彼女の心を見て彼女を助けてくださいました。ある日の午後、私が家に帰ると、姑は師父の「シドニー説法」を捧げもって庭に立ち、涙を浮かべながら「私は字が読めました! 私は7回拝読しました!」と私に言った後、私を家の中に連れていき師父の説法を読み上げました。佛の恩は本当に広大です。私は師に感謝の気持がいっぱいで涙が溢れました。

 姑は迫害の中で4回留置場に入れられましたが、師父を信じる心を持って衆生を救い済度する道で前進しました。彼女は「私は師父の教えだけを聞きます。師父の教えのとおりにやります」と言いました。

 次に農村にいる私の母のことを話します。彼女は私が小さいときから薬を手放したことがありませんでした。年に何回も深夜に病院にかつぎこまれました。当時、母は大法の修煉をしていませんでしたが、父が迫害を受けている間は彼女の心臓病が発作を起したことはありませんでした。母は父が持っていた大法書籍を全部隠して守ったからです。父が釈放され帰ってきた後、母に大法の修煉を勧めましたが、彼女は麻雀と喫煙を放下出来ず、また「あなたたちは師父が佛だと言ったでしょう。私に見えたら修煉します」と返事しました。慈悲なる師父は母に法身を見せてくださいました。ある日、母が寝ているとき、父が彼女の布団を直すと、母は「なんで邪魔するの? 師父はいま私の頭の上で講法していらっしゃいますよ」と言いました。

  2003年3月1日、母は麻雀をしていたとき突然倒れました。医者に「小脳出血」で手術できないと診断されました。28日後に退院したとき、母は全身不随の状態で、左手を小さく振りながら、口の中で何かを言っているようでした。父が耳を彼女の口元に寄せると、「私は大法を勉強したい」と言いました。その後、母は「当時、1本の黒い手が他の1本の手と私を奪い合いました。黒い手は私を連れて行こうとしており、他の1本の手は私に大法を勉強させようとしました」と思い出して話しました。このようにして、母は修煉の道に入りました。

 私と父は母に師父の講法テープを聞かせました。1日目、母の意識が戻り、午後になって話せるようになりました。2日目の午前、彼女の兄弟が見舞いに来て、母は30分座りました。3日目、昼ご飯のとき、彼女は片手でご飯を少し食べました。4日目の午後、自分で座れるようになり、5日目、しゃがむ事ができ、6日目ベッドの上で子供のようにハイハイし、7日目、窓の枠につかまって立ち上がり、窓に沿って歩きました。8日目、母はベッドに沿って歩きました。9日目、母は自力で庭の中を歩くようになりました。

 九つの講法を聞いている9日の間に奇跡が続々と現れ、皆を感動させました。ある日見舞いに来た近隣の人や私の叔母はそれから大法と縁を結びました。

 完全に回復した母は1カ月後、突然、また全身が動かなくなり、8日間連続して食べず、水だけを飲み、小水は全部薬の匂いがしました。師父は母の身体を浄化してくださり、母の難をたくさん引き受けてくださいました。母は「この8日の間、ソファベットの上で休んでいるように気持がとてもよかったです」と話しました。

 また1カ月経った後、母は突然別人のように変わり、師父をののしり、「足に重い金属をつけられた。身体にたくさんのものがある」と言い、走るように歩き、蛇や狐や他の動物のように動き、一所懸命に外に出ようとしました。父は彼女に『転法輪』の「主意識を強くもつべし」を暗記させました。師父の加持と同修の助けの下で、母はやっとこの関を乗り越えました。

 他の人が学法する様子を見て、母は『転法輪』を抱いて泣き、「自分はいつ字が読めるでしょうか」と思っていました。ある日、母は部屋の中に溢れて燦々と輝いている金色の文字を見ました。どこを見ても金色の文字があり、金色の光が目に眩しいため、彼女は布団をかぶりましたが、布団の中も全部金色の文字でした。その後、母が『転法輪』を開いたとき、知らない文字はほとんどありませんでした。今、彼女は流暢にすべての大法の本を読むことができます。この数年、母は自分の体験から大法を実証し、真相を伝え、師に従って法を正し、衆生を救い済度しています。

 2010年6月27日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/5/27/224290.html

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