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大法を修煉し、返本帰真に向かう(一)

文/河南省の大法弟子

(明慧日本)1995年秋、幸運なことに、私は法輪大法の修煉を始めました。あっという間に、15年が過ぎ去りました。「もし、私は常人と同じように、大法を修煉していなければ、私の一生はどのようになったのだろう」と、私は時々思いました。

 修煉する前、私の身体の体質が非常に弱くて、インフルエンザが流行すれば、毎度必ず感染してしまいます。大学の頃、B型肝炎にかかってしまい、他の同修が実家から帰るたび、いつも美味しい食べ物を満載して帰ってくるのですが、私はいつも母が丹心を込めて作ってくれた漢方薬を持って帰るのでした。体が弱くてまるで「林黛玉(清の時代の小説「紅楼夢」のヒロイン)」と同じ、せっかちな性格は「張飛(三国志の武将)」みたい、何かあれば、すぐ焦ってしまうのです。

 当時、私は権力を重く見ていたので、一心に幹部になりたかったのです。幹部になれば、すべてが思い通りになれると思いました。外見が美人だと言われる私は、高校生の頃から男性にずっとちやほやされて、自己中心で傲慢な性格になりました。ブランド品が好きで、高級な化粧品を買い求め、そして高級レストランに出入りし、これを高雅だと勘違いしていました。

 私は大法を始めて真剣に読んだ時、心が大きな衝撃を受けました。「真・善・忍」の法理が輝く光のように私の人生を明るく照らしてくれました。世の中には人にどんどん純潔にさせるこのような美しいものが存在しているとは、知りませんでした。私は返本帰真に向かう修煉者になろうと決心しました。

 師父が私の不潔な体を浄化してくださいました。全身が黄色になり、目玉まで黄色になりました。当時、食事が喉を通らない状態で煉功と学法を忘れはしなかったのですが、悟性が低く、20日間もかかってようやく関門を乗り越えました。それ以後、私は健康な身体を手に入れました。師父と大法への感謝が身体の方だけでなく、最も感謝したいのは、1人の人間、そして1人のよい人間、さらに1人の修煉者になる秘訣を教えてくださったことです。

 今の世の人々は、人として生きることが容易いことだと思っているかもしれません。当然なことですが、私も修煉する前、同じような考えを持っていました。その上、このような社会で、私は悪いこともしていないし、比較的にいい人間だと思っていました。周りの友人と同僚も、今、思い切り享楽を満喫しないと、いつならできるの? 伝統にこだわりすぎ、保守しすぎ、大事な青春を無駄にしていると、いつも私を嘲っていました。彼らの享楽にまっしぐらに突き進んで我を忘れる姿を見て、言いがたい苦い苦しみが湧いてきて、とても悲しかったのです。こんな生き方はつまらなく、責任感がないと感じました。

 私自身には不良な習性がなく、タバコを吸わないし酒も飲まず、仕事を真面目に努めているし、性格も明るく善良な人だと思っていました。しかし、大法を修煉し始めると、自分が1人の人間としてさえ基準に満たされていないのに、よい人間どころではないと自覚しました。それは現代人の滑落した基準で測っていたからです。

 私は「真・善・忍」の基準で自分を律するように努力し始め、絶えず自分の良くない利己的な考えを取り除いていきました。仕事をよく務めても、上司から認められ同僚の称賛を得ようとせず、名利のため、資本を得ようとしなくなり、自分より能力の衰る同僚に孤高な態度を持して対応しなくなり、積極的に他人を助けようとしたのです。家でももめ事を作らず、すべて他人を優先に考えるようになり、理解と包容のある心を持って家族と接していました。私は善を持って社会で接触したすべてのさまざまな人に接し、法に照らして自分の言動を正すのに努力しました。中共に毒害された人々の私への不理解に恨んだり文句をこぼしたりしなくなりました。大法の偉大な慈悲の素晴らしさを人に知ってもらおうとしました。

 (続く)

 2010年6月30日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/6/26/225969.html

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