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大法を修煉し返本帰真に向かう(三)


文/河南省の大法弟子

(明慧日本)私は再び、大法の穏やかな音楽を聞くと、その久々の感覚に全身が静止してしまったのです。自分の魂が遥かな所から来たかのような感覚を覚え、その神秘的な感覚に、大法がすなわち私の命であり、永遠に私の生命の奥にあると悟りました。

 修煉の過程で、その悔しさや怨恨の心が時々現れてきます。しかし、私はすぐに大法に従って自分を正しました。大法に包まれて私は絶えず自分を鍛えていくと、偉大な法理が現れてきました。

 表面上では、自分は主人への愛情を重く見ていて、その中からなかなか抜け出せないように見えるのですが、実際は自分への愛情を重く見ていたのです。自分への関心と忠誠心にこだわって、自分が感情の世界において唯一の存在で、永遠に私を愛すべきで、完全に「我」の文字が先頭に立つ利己的な感情の現れです。

 すべての人の良知と道徳においての言動は、全部その人が自由に選択できます。しかし、大法弟子としての私は、選択の余地がなく、絶えず大法に同化し自分を正すのみです。

 偉大な佛法の素晴らしさを衆生に伝えるのが私の責任なので、私たち夫婦にいかなる因縁があるにしても、一切関係なく、今生の私は慈悲心を持ってすべてを対処する気持ちで望むべきです。当時、主人が私から離れなかったことを非常に幸運に思い、私に大法を実証する機会を残してくれました。

 私の娘も大法子供弟子で、私のお腹にいる頃からすでに私と一緒に学法と煉功を始めたのです。9歳の彼女は『転法輪』を通読することができます。私達はいつも一緒に学法と煉功をして共に精進しています。娘はクラスで品行と成績が共に優れている生徒で、生活面においても物事をわきまえている良い子です。

 ある日突然、娘に高熱の症状が出ました。しかし「私は大法弟子で、全く病気がないのです」と言い張ります。「では、どうすればいいのですか?」と私は聞くと、「最近、私は遊びに夢中になっていたし、物を他人と分けたくないよくない心も持っていたし、その上、法をよく勉強しなかったのです。私にまた何かの問題があるのか、お母さんも探して、私達はこれらの悪い物を取り除きましょう」と、娘は答えました。

 私は本当に娘を嬉しく思いました。とてもいい子供弟子です。普段、自分がある面において子供弟子にも及ばなかったと思うと、恥ずかしくなりました。夜になると、他空間のすべての邪悪の卑しい鬼を取り除こうと、私と娘は一緒に発正念しました。翌日、何もなかったかのように、いつも健康な娘に戻りました。師父は、私が向上できるように、私の身辺に多くの同修を按配してくださったことを非常に感謝しています。彼らの無私無我の言動にいつも感動して、佛法の偉大さと生命の返本帰真の神々しさを感じ取りました。

 法を多く勉強するにつれて、師父が、すべての生命が法のために来たとおっしゃった法理を深く理解できるようになりました。私の身辺にいるすべての世人を大切にしようと、真摯な心を持って接するようになれました。私は、自分自身の変化により自分の周りの環境が不思議に変わっていくことに気付きました。法に沿って行っていれば、多くの事が思うままになり、しかも、一部の事はまるで事前にすでに用意されたかのよう順調に進むのです。これはすべて師父が弟子の向上のため、按配してくださったことだと私は分かっています。私に良く行えない理由が、どこにあるのでしょう。

 このような万古にわたって一回きりの偉大な歴史的な時期に、正法時期の大法弟子として、私には逃れられない責任と使命があります。自分をよく修め、師父の正法に全力で力を注ぎ、中共のデマに毒害された衆生を救い済度しなければなりません。私は大法が授けてくださったすべての能力を用いて大法を円容し、大法弟子としてやるべき「三つのこと」をしっかりと行い、より多くの衆生に大法の素晴らしさを知ってもらい、大法のために来た衆生をより多く救い、衆生と一緒に返本帰真して、偉大な師父と共に家に帰りたいです!

 大法が私に多くのものを与えてくださったので、永遠に語り尽すことができません。師父を失望させないように、自分にも心残りのないように、これから、真剣に法を学び、よりよく法を学び、私と縁のある衆生を1人残らず救い済度しようと決心しました。

 (完)

 2010年7月2日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/6/26/225969.html

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