中国の茶文化(一)
(明慧日本)
(一)茶の起源
中国では昔から薪、米、油、塩、醤油、酢、お茶は日常生活に欠かせないものとされています。それは、貧しくても金持ちでも、誰も普段の生活に欠かせないものだからです。茶は日常生活の必儒品で、中国では「飯の後に、お茶を飲む」という習慣があり、古い歴史と文化があります。華夏民族(中国人が自国を誇りに言う言葉)は茶文化の発祥地で、茶は中華民族とともに5000年の歴史を歩み、『一杯春露暫留客、両腋清風几欲仙(一杯の春露はしばし客を引き止め、両脇の清風を仙人のように感じる)』のように、良い茶を飲みながら、風景を楽しむという詩もあります。客が来れば、茶を振舞うという中華民族のよい伝統もあります。今日はお茶について話します。
茶の起源に関して、中国では神農の伝説にその記述があります。「神農は1日100種類の薬草を噛んで、72の毒に当たったが、茶を飲んで、毒を消した」という逸話があります。伝説によると、華夏の先祖・神農は水晶のような透明なお腹をもち、自分が食べた物の消化過程を全て見ることができたといいます。当時、人々の生活水準は低く、肉や果物も全て生のままで食べていました。そのため病気にもよく罹っていたのです。
人を助けようと思った神農は長い旅をして、自分でいろいろな薬草を試食し、その変化を(水晶のお腹から)見ました。ある日、神農はある白い花が咲いている植物を見て、思わずその植物の葉を食べました。すると、お腹に奇妙な変化が起こり、葉が移動しながら、胃腸に溜まっている食物の残留物をキレイに排出しました。しかも、口の中には甘い香りが残り、それは新鮮な感覚でした。
この(茶)葉の解毒作用の発見を神農は非常に喜びました。神は神農の心が善良で、年を取っているのに、病気を治すことに苦労していると感動し、玉葉(茶にたとえた表現)を授けたと考えました。そこで、神農は神に感謝すると同時に、いっそう薬草の採集に励んだのです。その後、神農は薬草を試食して中毒になるたびに、茶葉で解毒したのです。茶葉は医者のように、神農のお腹を検査してクリーニングしたのです。神農はこの緑の葉を「査」と称しました。後世の人たちは「査」を「茶」に書き換えたのです。これがお茶の最初の発見でした。
「茶」は渇きを癒し、目覚めさせ、利尿など健康に良い作用があったため、後世の人は薬草以外に養生の妙薬として茶を採集して植えたのです。そのため、茶はだんだん人に知られて、薬用以外に供物、菜食の飲み物として利用されました。また、さまざまな時代の改良を経て、今日のような味のお茶ができました。茶は神農によって発見された良薬なのです。神農の善良な心が蒼天(天の造物主)を感動させ、神は人間の幸せのため、神農に茶を見つけさせ、後世の人に残しました。
(続く)
2010年7月5日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/2/2/217321.html)
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