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学法のときに心が落ち着かず、眠くなるなら内に向けて探すべき(二)


文/山東省の大法弟子

(明慧日本)

 4、法を学ぶとき正しい姿勢でないと邪魔を受けることがある

 普段でも、学法をするときでも、私たちはいつも師父と法を敬う心を持つべきです。私はこの方面においてあまり良くできていませんでした。特に学法するとき、両足で結跏趺坐をしたくなく、身体はまっすぐな姿勢を保てず、疲れると壁や布団、またはソファに寄りかかり、時には本を膝の上に置いて腰を曲げて法を学ぶ時もありました。師父は私に「座るときは姿勢に気をつけるべき」、「法を学ぶ姿勢が正しくない」と悟らせてくださったことがあり、当時は悟ってそれを何日間か続けましたが、自分が内に向けて探さなかったので、怠け癖が働くことを知っていながらそれを即時に排除しませんでした。そのため、数日後にはまた同じ過ちを繰り返してしまい、結跏趺坐をして足が痛くなったらすぐ足を下ろしていました。ある日、片足の半跏趺坐をして学法しました。足首が痛くなり始めても自分は悟らず、続けてそのまま半跏趺坐を続けました。足首の痛みは8、9日間経っても続きました。また、それ以降も半跏趺坐をして学法するにつれて眠くなってきました。眠くて頭がずっと上下に動き、全身にだるさを感じ、眠りたくなりました。しかし、自分は寝てはいけないと分かり、続けて学法しましたが、ちっとも頭に入らず、寝たいという思いがすぐに出てきました。このとき、私は少しこの状態に対して警戒し始め、「おかしい、何が原因で邪悪に隙をつかれたのだろう?」といろいろ自問自答しました。そして、私は無意識に左足を右足の上に運んで両足で結跏趺坐をし、身体を真っすぐにして座り、両手で本を持ちました。私がこの動作を完成させたその瞬間、頭から足まで「スーッ」と軽くリラックスしたのを感じ、体は気持よくなり、眠さやだるさもなくなりました。

 大法弟子として、普段の一挙手一動は全て法に符合すべきです。法を学ぶとき姿勢が正しくないことは、師父に対する不敬であり、即ち心性の問題です。さらに怠け癖まで加わると邪悪に隙を突かれる可能性が生じてしまい、特に夜はもっと眠くなりやすのです。たくさんの同修たちは、夜に学法するときに眠くなるのは自然現象だと思っていますが、実は根本的にはそうではありません。昨夜学法したとき、また姿勢が正しくない原因で邪悪に隙を突かれ、もうすぐ発正念の時間のことでした。心から自分の体をリラックスしてもっとよく発正念しようと思い、手に持っていた本を枕の上に置いて結跏趺坐をしましたが、腰を曲げて続けて学法しました。その結果、知らぬうちに意識が薄くなり、目が覚めて時計を見るともう発正念の時間が過ぎていました。発正念の時間を逃したことが、悔しくてたまりませんでした。師父は次のようにおっしゃっています。この法を読み、修煉の厳しさをさらに感じるようになりました。「だからこういう事は全部小さい事ではありません。良く把握すべきです。貴方達の行くべき道は、私は皆もう分かっていると思っています。実はとても狭いのです。貴方が少しずれて行っても貴方はもう大法弟子の基準に合わなくなります。一つの非常に正なる道だけが私たちに許されているのです。少しでもずれたらいけないのです。なぜならばそれは歴史の要求であり、それは未来の宇宙の衆生の要求であるからです」(「大ニューヨーク地区法会での説法」)

 何度もの教訓があった後、私はこの方面で自分を修正することを重んじるようになりました。法を学ぶとき、両足で結跏趺坐をして足が痛くなっても下ろさず、体がきつくなっても真っすぐな姿勢を保ちました。不思議なことに足を組んだ時間が長くて痛くなっても、落ち着いて学法でき、足を下ろしたいという思いもありませんでした。できるだけ両足で結跏趺坐をして一講を読み終え、またある時は二時間以上、結跏趺坐をしても下ろしたくありませんでした。今は法を学ぶ時に結跏趺坐し始めると、体は自然と真っすぐな姿勢を保ち、そして体の周りはとても強いエネルギーに支えられ囲まれることを感じ、非常に気持ちがいいのです。

 5、法を学ぶ過程において自分を落ち着かせないと、学法のとき邪魔される

 師父は次のようにおっしゃっています。「だから法を学ぶ時、皆さんは形式にこだわる必要はありません。しかしきっと心を落ち着かせてから読むべきで、本当の意味で学ぶべきです。思考がほかのところに行ってはいけません。集中しないと学んでいないのと同じです。ほかの方面から言っても、もし法を学ぶ時思考が法の上になかったら、形式の問題だけではなく、実際は法を学ぶ人が法に対しあまり尊敬しないのとも同じです。その場合法の意味が表われて来ることができますか?この一点から言うと、私は皆さんはきっと心を落ち着かせてから法を学ぶべきだと思っています。忙しい状況の中、法を学ぶときっと思考を定めるべきであることに注意してください」(「アメリカフロリダ法会での説法」)

 私は以前良くない習慣がありました。師父のほかの説法を学ぶと自分の考えが落ち着き、『転法輪』を学ぶと、読んだ回数が多いため集中しにくく、自分に甘くなりがちでした。『転法輪』を学び始めたばかりの時は結構集中していましたが、どんどん読んで行くうちに考えがちょっと飛んだりして、そのことを気にせずに続けて法を学ぶと、眠り始め、善ではない考えまで出てきました。この方面の教訓があったので、私は内に向けて探し始めました。先程までよかったのに、なぜどんどん読んで行くうちに、このような状態になったのでしょうか? 法を学ぶ過程に隙があったのでしょうか? すぐに、学法のときに自分の考えを定めず、即時に出て来た常人の心を抑えて排除していなかったのに気がつきました。それが私の学法を邪魔しているのです。ここまで掌も立てなかったのに、善ではない要素はなくなり、眠さもなくなりました。

 この方面の体験は本当に多かったのです。この数年間、普段学法するときに内に向けて探すことを重視していたので、基本的に学法するとき、静かで眠くない状態に達することができるようになりました。法を学ぶ時の静かで眠くない状態は言葉では表現できませんが、本当にある一種の「天は清らか体は透明、身神合一」の感覚なのです。心身全体と周りがすべて法の慈悲なるエネルギーに囲み包まれ、体は気持ちよく、法の中の一文字一文字が全部穏やかで優しく、ますます親切に見え、読んで行くうちに顔の表情が知らぬ間に柔らかく優しく、笑顔になり、法を読む声さえだんだん優しくなり、心身すべてが法の中に溶け込むのです。毎回こういう状態に入るといつも涙を流しながら学法し、ある時は本を開いてまだ学び始めてもいないのに、一筋の暖流が心に上がって来るのです。

 ですから、ある同修が法を学ぶ時に長い間静かになれない、または眠くて続けにくいなどは、実はこの方面で内に向けて探す事を重んじておらず、さらに楽をしたい心が加わり怠ける心を除去せずに自分勝手にし、眠くなったら寝ることで邪悪に隙を突かれてしまい、眠さを利用してあなたの法を学ぶことを邪魔するのです。もし長期間このように流され、内に向けて探しておらず、自分を修めていないのなら、これも自分の修煉に人為的な障碍を作っているのです。

 次元に限りがありますので、足りない部分がありましたら、同修からの慈悲なる指摘をお願い致します。

 (完)

 2010年7月7日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2009/7/13/204352.html

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