■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/07/07/mh081770.html 



内に向けて探し、執着を取り除いた体験(二)

(明慧日本)

  ニ、内に向けて探し、闘争心を取り除く

  表面上からは、私はとてもおとなしく見えるのですが、最近、ある出来事で私には強い闘争心があることが分かりました。

  私は会社で、規則通りに仕事をしているとき、人に罵られて殴られてしまいました。自分が大法弟子で、「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない」という法の教えに従わないといけないと思いながらも、悔しさで憎み、すぐでもやり返したい思いがあったため、喉がたちまちかれて悔し涙があふれました。見物人達は、病院に行ってみた方がいい、殴られてただで済ませてはいけない、賠償してもらわないといけないと、いろいろと勧めてくれたりして、不平があふれました。

  実は殴られた時、痛みを少しも感じませんでした。大法弟子はいかなることに遭っても偶然な事はないと知っているため、私は常人と同じようにしてはならず、無条件で内に向けて探さないといけないと思いました。しかし、いくら探しても執着を見つけることができないので、しきりに涙を流しました。その日、ちょうど両親が在宅しておらず、同修と交流する機会もありませんでした。これは師父が私に自分で悟らせているのだと分かりました。

  これから、自分がこの人とどのように接すればいいのか、またどのようにすれば、「真・善・忍」の法理に沿うことができるのかと絶えず自分に聞いているうちに、孤独感が突然襲ってきました。この時、師父は私達の傍にずっといらっしゃるという法理を思い出して、心の中で師父に、弟子は必ず執着を見つけ出して取り除き、よくできるようにし、仕事の環境を正しい環境しますので、師父のご加持をお願いいたします、と思った途端に、私を殴った人が旧勢力に利用されて大法弟子を邪魔し、どれほどの貴重な物を失ったのかと思うと、とても可哀想に思い始めました。

  私は正法時期の大法弟子なので、常人を利用して大法弟子への邪魔と迫害するすべての他空間の邪悪な生命と要素を取り除くべきで、無知の中で罪を犯す事を止めさせるのが、彼に対して最大の慈悲だと考えたのです。すると、突然暖かいものが全身に流れ込んで、自分がとても大きくなり、さらに強大になったと感じました。

  家に帰ると、師父の『マンハッタン説法』がちょうど発表され、私は急いで拝読し始めました。「これほど大きな法があり、正念の中で大法が皆さんとともにあり、これは絶大な保障です。正念が足りず、法に符合していなければ法の力から離れ、孤立無援のように見えます」を読んで、私の涙はとめどなく流れました。

  「神から見れば、修煉者がこの世において、正しいかそれとも間違っているのかはまったく重要ではなく、人心の執着を取り除くことこそ重要であり、修煉の中で どのように人心の執着を取り除くかが重要なのです。(拍手) いくら不当な仕打ちを受けても、平然として対処し、心が動じることなく、自分のために言い訳をせず、多くの場合、弁解する必要もありません。なぜなら、修煉の道のりにはいかなる偶然なこともなく、話をしている中であなたを刺激したもの、トラブルの原因である利害関係は師父が作ったものかもしれません」を読んで、私は完全に分かるようになりました。

  深く隠れた闘争心が、私にずっとあったと分かりませんでした。常人の中で正しいかどうかはすべて泥遊びをしているに過ぎず、正しいかどうか、悔しさなどは、すべて重要なことではなく、私は1人の修煉者であり、その上、大法弟子であり、いくら良くないことでも良いことに変わるのです。翌日、私は会社の責任者にこの件について、これ以上追及したくないし、いかなる賠償もいらない、すべてを水に流したいと伝えました。

  今、振り返ってみると、たいしたことはなかったのですが、当時、人心に触れられて多くの執着が暴露されました。例えば、面子を重く見て、殴られて恥ずかしく思い仕事に行きたくなくなり、嫉妬心もあり、また話をするとき、態度が良くなく善の心も足りず、さらに怨む心もあったのです。2日後、偶然に暴行する人を見かけたとき、心臓の動悸が激しくなり、憎んだりもしました。

  この件から半月経ったある日の夜、目の前に巨大な大きな木が立っていて、巨大な果実が一杯実っており、しかも、すべての果実は5、6人を合わせた大きさがありました。突然、果実が揺れ始め、一つの声が伝わってきました。「この木の果実は落ちたことがないというのです。伝説ではこの木は適任の人に会ったときしか果実を落とさないというのは本当ですか?」

  この時、木から最大の果実が大きな音を立てて落ち、私の前に跳ねてきて、私はびっくりして目が覚めたのです。しかし、何の意味か分かりませんでした。ある日、ある同修にこの夢のことを話すと、同修は思わず「果実は即ち果位ではありませんか」と言いました。確かに言われたとおりです。師父が私を励ましてくださったのではありませんか! 師父が最も殊勝なすべてを私に用意してくださったのです。

  同修達が共に精進し、三つのことをしっかりと行い、より多くの衆生を救い済度して、師父と共に帰ることを願っています。

 (完)

  2010年7月7日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/3/4/219185.html

明慧ネット:jp.minghui.org