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集団学法にあるいくつかの問題(二)


文/中国の大法弟子

(明慧日本)最近、学法グループの同修二人が真相を伝えに行きました。このようなとき、普通は交流して家に残っている他の同修が協力して発正念してあげてもおかしくないことですが、ある同修は天目が見えるため「師父の啓示だと思いますが、皆が真相を伝える同修のために発正念するよう何かの声が聞こえた」と言い、もう一人は同じく夢の中であの二人が安全ではないと啓示されたと話しました。

 結局、皆は落ち着かず、旧勢力による虚像で、十数日間二人の同修と連絡が取れなくなりました。二人が無事に帰って来る直前に、その天目が見える同修は二人が一緒にいると言いましたが、邪悪に迫害される理由はないと胸を張って言えなかったのです。そして、本当に帰ったと知ってから、「天目の中で二人がニコニコにしているのを見た」と言いました。しかし、なぜその前にはっきりと言えなかったのでしょうか? この中に私達全体に存在している落ち着かない心が反映されています。何かあったら動じて、旧勢力のいわゆる試練に対して師父と大法を第一にせず、固く動じない、大法弟子としての正しい念、正しい行いをしておらず、邪悪の迫害が大きく見えたのです。この十数日間は学法グループ全体的に落ち着かず、たくさんの衆生を救い済度することをしませんでした。大法に照らし合わせて私達の不足が分かりました。旧勢力の妨害は全て間違っていて、承知してはなりませんが、私たちの修煉の中での不足がはっきりと現れました。

 天目が見える同修はぜひ口を修めるようにしましょう。自分が見た大法の中のほんの小さなことを軽く言ってしまって、同修を妨害し、法を師にすることに影響を与えます。皆が法の中で精進し、修煉することこそ師父の本当の弟子なのです。

 四、自身の円満、向上などに執着

 師父がおっしゃった三つのことを続けていますが、純粋な心ではなく、「私心」が混じっています。例えばしっかり修煉している同修が急に足が病業の状態となり、ずっと治りません。ある日、この同修は私に話をしました。「大審判のことを思うたびに落ち着かない、私が対面で三退を勧めた人は本当に少なすぎる」この話の裏には将来の大審判の時に自分がどうなるのか不安があります。今まで歩んできて、このような同修は一人ではありません。以前はいかに良くやったとしても今は人を救う純粋な心を失ったら効果がなくなります。以前、ある労働教養所の警官に真相を伝えた時に、警官は「法輪功が人を救うのは私心のためです。皆、自分の円満成就のためです」とズバリ言いました。話を聞いた私は、静かになって考えました。やはり私たちは不純な心を抱えて、旧勢力に付け入れられる口実となり、さらに衆生が救われることの妨害となりました。

 今、大法弟子の一番重要なことは人を救い済度することです。このことを念頭に置くべきで、淘汰の時に衆生はどうするのでしょうか? 今のうちにたくさんの衆生を救うべきです。縁のある人を見逃さず自分をしっかり修めて、大法弟子の素晴らしさを見せて、衆生を感動させることを考えなければなりません。衆生が大法を前にして感服し、無条件に同化することが大事なのです。

 今日この話を書いたのは、同修のことを責めるつもりはありません。私たちは皆修煉している人であって、現れたのは必ず人心であり、修めていない部分です。私もこの不足を見て自分から直して、執着をなくさなければなりません。私達大法弟子は、分かったら改めます。時には自分自身が見えないため、私が見たら言い出し、皆が自分の私心をなくして、師父の要求された三つのことをしっかり行い、衆生の期待を裏切らず、自分にも責任を果たすよう望みます。

 (完)

 2010年7月8日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2010/6/21/225733.html

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