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大法弟子は修煉体験を書くべき

(明慧日本)私は1997年に法輪功を学び始め、そのときはとても嬉しく、心の底から歓呼していました。自分がずっと求め続けたものを見つけたからです。個人修煉の期間は、心から法を勉強したくて、心身ともに変化もとても速くて大きいものでした。

 1999年、中共が迫害をし始めてから、私は修煉の道で転んだり、過ちを犯したり、挫折を伴って今日まで歩んできました。師父と大法を疑ったことがなく、同修と一緒に法の勉強と交流することも好きで、特に、師父が大法弟子に明慧ネットを設立してくださったおかげで、中国本土の恐怖政策の下でいかなる厳しい時期であっても、私たちは明慧ネットを通じで交流し、お互い促進し合います。「比して学び比して修す」(『洪吟』「実修」)本当に師父に感謝します。

 2001年に初めて『明慧週刊』で大法弟子の交流文章を読んだ後、次元の異なる佛、道、神と交流したと感じたのを覚えています。私に大きな促進を与えてくれました。それから、『明慧週刊』の交流文章はほとんど逃すことなく、一つ一つを真剣に読んできました。しかし、一度も自分が体験文章を書くとは思いませんでした。自分は悟性が低いし、実修もぜんぜんできていないし、法の要求までまだ遠く、書くことはないと思っていました。数年来、書こうとも思っていませんでした。しかし、『「第5回大陸大法弟子の修煉体験書面交流大会」の原稿募集について』が発表されたあと、突然自分には原稿を書きたくない背後に大きな人心が阻んでいるのを見つけました。それは、自分がいつだってだめだと思っている人心、その人心の背後にもたくさんの人心が隠れています。虚栄心、恐れる心、安逸心、ただで得て払いたくない心など、根本的に言うとやはり私心です。この私心は極めて悪いもので、万悪の基であるし、私はいらない、解体して、師父の要求を満たし、「無私無我、相手を優先にし、自分を後回しにし」の境地へ修煉します。それで、原稿を書くのも「三つのこと」をよくやる中の一つであり、ペンを持ち旧勢力の要素を追い払う過程でもあり、さらに固く師父と法を信じる過程でもあると分かりました。 

 私が悟ったことを書き出しました。不足部分を慈悲に指摘してください。

 2010年7月14日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/7/12/226848.html

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