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正念が足りるとき、多くの人を救うことができる


文/遼寧省の大法弟子

(明慧日本)私は96年以前、つまり法輪功を修める前は、全身に病気を患っており、腰椎間盤ヘルニアで足が動かず、仕事も出来ませんでした。しばらく修煉してから、全身の病状は消えて、身体が楽になり、元気になりました。その時内心から思ったことは、こんなに素晴らしい功法をもっと多くの人々に伝えて受益させなければならないということでした。それから私は弘法を始めました。

 一、大法を広く伝える

 私はテレビとウォークマンを自転車に載せて35〜40キロ以上離れている村に行って(時には車に乗ります)村の村民に大法のすばらしさと不思議なことを伝えました。夜になると一軒一軒を尋ねて縁のある人を探して、師父の説法のビデオを見せました。オンドルや地上に坐って師父の説法を聞いている村の人々見ると、嬉しい気持ちで胸がいっぱいになり、縁があって大法を得ることが出来た人を見て感動の涙を流すこともありました。

 ある日、ある村に行って、大法のことを話したときに、ある人に追い出されました。日がもうすぐ暮れるときで、直ぐ家に帰ることもできないし、今夜泊まらせてくれる人もいないだろうと思った私は柴の側に荷物を置いて一晩座って過ごし、明日機会を探して又説明に行うと思いました。私は店に行って麻花と言うお菓子を買って食べながら、この村を残すことはできないと思いながら柴の側に坐りました。間もなくおばさんが来て「家に帰らずにここで一晩をすごすことは無理だから、私の家に行きましょう」と言うので私は「それではお邪魔します」と言って彼女の家に行きました。

 彼女の家に着いた私はすべての機会を見逃さず彼女の家族に大法の素晴らしさと、自分自身の変化を伝えました。彼女の家族は聞き終わった後「ではビデオを放映してください。私達も見たいです」と言われ、数日間で、この村の10数人が法を得て、修煉の道を歩むようになりました。

 このようにして、数年間、私と同修の努力の下で、周囲の百キロあまりの村と山の奥の人々は法を得て、大部分はすでに学法グループもできました。私はこのすべては師父の按排であることを知っています。同時に私に対する師父の慈悲なる加護を感じています。

 二、苦難な長旅をして真相を伝える

  大法弟子の使命は真相を伝えて人を救うことです。私と同修達は苦しみや疲れを恐れず、世の人々が大法の資料を見る機会を与えるために、いつも一晩中歩く時もあり、徹夜をするときも多いのです。ある日私は50キロ以上離れている、ある谷間の人達は真相の資料を見たことがないことを同修に聞いて、私は彼女と一緒に自転車で、ある道まで行った後、自転車を草の中に隠してから、徒歩であの村に向かって歩きました。日が暮れており、谷はとても深くて、とても長かったので、私達は互いに手を引っ張りながら歩きにくい谷を歩いて、入り口のところに着きました。

 ちょうど私達が真相のポスタを数枚貼ったときに、入り口の所に明かりが見え、数台の車が止まっているのが見えました。車から人が降りて「どこにいるのかな、人は見えない。私達が入り口を塞ぐと、彼らはここを抜けられない」という話し声が聞こえて来ました。私達2人は暗い所に行って、柴の裏に沿って歩いて中に入って見ると、警察のパトロール・カーが見えました。私と一緒に行った同修は若かったので、私を引っ張って、怖いと言いました。この時私の心も怖く感じ始めました。私は、これではいけないと思って、私達はこの恐れる物質を取り除かなければ行けないと思うと、すぐ怖く感じなくなりました。私は同修に「恐くない、師父がおられ、大法がある」と言いました。私たち2人は山の斜面に坐って発正念をして、警察の背後にある邪悪を一掃しました。

 30分くらい過ぎた後、警察は帰りました。私達は持っていった300数組の真相資料を全ての家のポストに入れました。この時はすでに夜中の3〜4時でした。安全のため、私たち2人はトウモロコシの畑の中を歩いて、畑を抜け出たら前は大河だったので2人はズボンを上げてから手を握って河を渡り始めました。師父の加持の下で私達は無事に自転車を探し出しました。私達は夜明け前に家に着くために、全力で自転車をこぎました。

 6時に家に着いて、発正念が終ると、動きたくない気持ちになりました。太ももの擦り傷は痛くなっていました。私は「大覚は苦を畏れず、意思は金剛の鋳」(『洪吟(二)』「正念正行」)の師父の教えを思い出して、急いで起き上がって、顔を洗って、出勤しました。

 私は2009年5月25日の午後、乗客と貨物両用の車にぶつかって地面に倒れました。その時、私は自転車に乗っていましたが、彼の車のスピードがとても速く、またカーブを曲がるときだったので、私の左足首は車のタイヤの下敷きになってしまいました。私の自転車はその時「ギョーザ」のように車輪が曲がってしまいました。退勤時間だったので、多くの人が囲んで来て、皆が一斉に声を出しました。運転手は慌ててバックしたので、車はまた左足首を轢きました。周りの人は皆がもう駄目だと嘆きました。その時、私の頭には師父の「物質と精神は一つです」との教えが浮かびました。

 私は師父の加護があるので大丈夫だと思って、左足を下敷きになった車の下から抜きとり、足首を数回回した後、ゆっくり立ちました。意外にも本当に無事で痛くもありませんでした。私は周りの人々に「大丈夫です。骨も大丈夫だし、痛くもありません」と言い、運転手に「恐れないでください、私は法輪大法を修めているので、あなたからお金を強請り取ることはしません」と言いました。運転手は感謝して「もしあなたが大法を修める人でなければ、私に面倒なことが起きただろうと思います。大法はあなたを救い、私も救ってくれました」と言いました。事情を知った周りの人々は大法の不思議なことに感激しました。

 三、師父の教えを聞いて、1人の同修も落とさない

 ある同修の体に正しくない状態が現れて、理知がなくなりました。学法も、仕事も出来なくなって、家族と親族は彼女が心配で彼女のためにいろいろ試しましたが、どうしようもなくなっていました。彼女の状態を見た私は師父の教えを思い出しました。師父は1人の弟子も落したくないとおしゃいました。これは旧勢力が彼女を落とすために仕掛けたものです。私は、彼女をこのように落とすことはできないと思いました。

 昼休みの時間に、私は急いで彼女の家に自転車でいきました。彼女の乱れた髪、活気のない姿を見て、私はオンドルの上に上がって、厳しい声で彼女に言いました。「あなたは大法弟子であり、自分で自分を律しなければいけません。このまま旧勢力の按配に沿ってはいけない。今から私はあなたと一緒に法を学びます」と言い、それから彼女の親族に「あなた達は彼女にかまわないで下さい、彼女を私に任せて下さい、彼女は絶対に大丈夫です」と言いました。

 私の時間はとてもきつかったのですが、私は何があっても、毎日彼女と一緒に『転法輪』を三講学んで、一緒に発正念をしました。このようにして40数日間堅持して、彼女の理知はもどりました。

 私は師父の要求に従って、三つの事をしっかりと行って、法を学び、正念を発し、多く人を救い、すべての執着を取り除いて、きれいになって師父について帰りたいと思います。

 2010年7月16日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/7/8/226642.html

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