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ブルガリアの大法弟子の修煉体験

(明慧日本)

 グループ学法を続けること

 師父の『オーストラリア修煉者への説法』のビデオを見て、私はグループ学法の重要性をより強く認識しました。その説法の中で、師父はグループ学法の重要性を何度も強調されています。

 私たちが毎週行っているグループ学法の場所は自宅から比較的遠く離れているため、時間の問題と、もっと効率的に他のプロジェクトをしようという考えを理由に、何度もグループ学法に行きたくないと思っていました。しかし、学法を終えて家に帰る道中、毎回、この考えを否定し、そして、グループ学法に参加し続けてきました。

 あるグループ学法の時、前回のグループ学法で学法の素晴らしさを体験し、私はもう行くかどうかという迷いが消えてしまいました。グル—プ学法でたくさんの有益な体験をし、覚え切れないほどです。ここに、最近の例二つを取り上げてみたいと思います。

 その一つは、私たちが『人心を放下し、世の人々を救い済度する』の経文の「真相をはっきりと伝えてから、煉功したい人がいれば、できるだけ早く法を勉強し功法を教える環境を整えてあげてください。彼らは次の段階で修煉する弟子です」を学んでいた時のことです。以前、ある人が二度、私たちの煉功場に来て煉功していたのを思い出しました。その後、長い間、彼と連絡を取っていませんでした。彼に煉功を押しつけたくなかったからです。しかし、翌日の朝、なんと私は彼からの電話を受け取ったのです。

 もう一つは、海外に住むあるブルガリアの修煉者が私たちのグループ学法に参加し、法を暗記した体験を語った時のことです。私はとても驚きました。なぜなら、法を暗記するのは中国の修煉者にしか適していない、他の言語を使う修煉者には合わないと思っていたからです。それから10日ほどして、私はブルガリア語の法を暗記しようと決心しました。

 法を暗記する

 私は他の同修と一緒に法を暗記することにしました。『精進要旨』の短い文章から始めました。法を暗記する素晴らしさは言葉では言い表せません。それは異なる次元で私の正念を強固にしました。一つ例を挙げれば、それは『境界』の中にありました。

 『境界』の中の「善人は慈悲心が常にあり、憎むことなく、恨むことなく、苦を持って楽とするのです」を何度も暗記しました。憎しみを抱く時、何度もそれに気付きました。憎しみを抱く時は、善良な人に達していないのです。修煉者として、なぜ自分がまず善良な人にもなっていないのかと悲しく思いました。それからは、憎む心が表れると、特に注意し、得た効果も良いものでした。

 各プロジェクトで他の同修と協力する

 私は他の同修と一緒に真相を伝え、法を実証するプロジェクトをやって、とても順調にいっています。私たちは努力して正念の場を築きました。私はとても平和で落ち着いていると感じています。なんの心配ごともありません。

 英語の明慧ネットで、私は他の同修の交流文を読むことを重視しています。ここから私は、他の同修の法に対する理解と、彼らがどのように法理に基づいて悟っているかを理解することができるからです。交流文のおかげで、私は理性的に大法を理解し、法を実証することに、さらに自信を持つことができるようになりました。

 執着を掘り出す

 最近、私は奥深く隠れているいくつかの執着心を暴露することができました。その中の一つは恐怖心です。時には、目標を達することができないのではないかと恐れているのです。それは常人の仕事でいつも表れてきます(私はプログラマーです)。長時間、問題のよい解決方法が見つからない時、いらいらし始め、状態が良くありません。

 ある時、この状態がまた現れました。自分を落ち着かせ、「心配することはない、すべての正神が私のそばに立っている」と自分自身に言い聞かせました。大きな正のエネルギーが私の身体に入ってくるのを感じました。2、3分後、問題の解決方法を思い付きました。それからは、私の恐怖心はかなり小さくなり、正念が強くなりました。

 結び

 私はまだ全力で精進していません。これは私が憂慮していることの一つです。しかし、私は努力し、より一層精進に励みます。苦しい時に助けてくださったすべての同修の皆さんに感謝いたします。

  2010年7月18日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2010/7/16/227050.html

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