■日本明慧 http://jp.minghui.org/2010/07/25/mh261849.html 



取り除くのは人心

文/中国の大法弟子

(明慧日本)同修が書いたいくつかの「独修」についての修煉体験を読んで、私達はこの問題に関してはっきりしていない気がしました。私も6年近く同修と連絡がつながらず、明慧ネットを見るチャンスもなく、師父の新経文も読むことができず、発正念に関する説法も知ることができませんでした。ようやく前に知り合った同修に出会いましたが、私を疑っていました。

 この11年間の迫害の中、私はずっとどのように同修と全体を形成することができるかを考えました。これらすべては、邪悪の迫害によってもたらされたことで、私は認めてはならないと思いました。もしこの迫害がなければ、私は同修を探すこともなく、一人で行動することもなかったと思います。そこで、私はある同修が「独修」を認めているのは、私達が旧勢力の按配を全面的に否定していないことであり、私たちに対する破壊だと思いました。

 私も同じくずっと自分の根本的な執着は何か、なぜ邪悪を解体することができないのかを考えていました。私は功能を使って大法のことをしていると悟りましたが。そのようにして来て、数日前からは邪悪が私を妨げる理由はない、私を迫害することはできないと思うようになりました。ふだん私はこの念を発し、その念を固守しました。誰も私を見えないと思いました。

 しかし、『転法輪』だけを学んで、師父の説法を見れない状況の下で私は数多くの執着を探しました。私は孤独を感じる時間がなくなり、同修と連絡ができないことを執着しなくなりました。毎日、一心不乱に自分に向かって不足を探し、自分を修めました。次第に私の孤独感はなくなり、ある日、自分の根本的な問題は何かが分かるようになりました。私はずっと、自分は円満成就することができるかを考えていました。私は円満成就に対してとても執着していました。私は自分に対して、師父を信じ大法を信じているのかと尋ねました。答えは「信じています!」この正念の一念により、私の世界は天地を覆すような変化が生じて、すべてが順調になって、自分で明慧ネットに入る機会ができて、系統的に師父の全ての説法を読むことができ、しかもこの数年は同修の修煉体験の文章を読むこともできました。私の前を遮る障害は私により倒れました。

 今、私は常に自分に飛躍していると感じており、ある非常に強い力が私を絶えまなく上へ引っ張っているようで、私は一つまた一つの観念を突破して、確実に修めて精進しています。もっと自分の足りないところを探しており、もっと自分の責任の重大さを感じています。同修も私の事を疑わなくなりました。旧勢力の按配を全て否定して、師父が私に按配してくださった道を歩んでいます。道はまだ最後まで歩み終えていませんが、私は明るい未来が目の前だと信じています。私は絶えず自分の心を修めて、三つのことをしっかり行って、歴史が私に与えた使命を成しとげます。

 もちろん、すべての同修の執着は異なっており、妨害も異なっており、道も異なっています。私達は確かに同修を探すことに執着してはいけませんが、私達の出発点が正しいかを見るべきで、これは肝心なことです。修めるのは1人1人の人心ですので、多く法を学んで、多く人を救って、三つのことをしっかりと行うべきです。それによりすべては変わります。本当に難攻不落の全体を形成することができて、誰も大胆に私達を迫害することができません! 私の悟りは全面的ではありませんが、同修の慈悲の指摘を願います。

 2010年7月25日

(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/7/22/227365.html

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