法の中で自分を浄化する(三)
—神韻公演チケットの販売過程で修煉を向上させる
(明慧日本)
三、法をよく学び、全体によく協調すれば、衆生をよりよく救える
私は、いつも忙しいことを口実にして学法を重視せず、学法したとしても心が静の状態に達しておらず、発正念のときも精神を集中してできないため、チケットの販売を常人の仕事と同じように考えてしまいました。劇場を満席にすることが自分の指標となり、チケットの販売枚数が自分の能力の表れだと思い、衆生を救うためではなく、チケットを売るためにチケットを売っていました。しかも、毎日売れた枚数によって心が起伏し、名利心や自分を実証する心が膨張していました。今日はチケットがよく売れれば、嬉しくてたまりませんでした。翌日はチケットあまり売れないと心が苦しくて、落ち込んでしまい、座席表を見ながら、縁のある人たちよ、早くチケットを買いに来てくださいと呼びかけました。私のこの表れは、表向きでは衆生を救うためのように見えますが、内に向けて奥深く探してみると、背後に不純な念が含まれ、考えているのはチケットを売ることでした。時には自分に問い質します、あなたはチケットを売るためにやっていますか、それとも衆生を救うためですか? そのときに浮かぶ最初の一念は、やはりチケットを売ることでした。この念が発する時は、自分の口実として、「チケットを一枚売れば、一人の衆生が救われるではありませんか?」という考えがある時です。私はチケットを販売することを、自分の仕事だと思ってしまい、内に向けて探したとしても、不満不平の気持ちで探し、チケット販売所の場所がよくない、同修が協調しないなどなどの不満を持ち、口では言わないけれども、心の中ではこれらのことを完全に放下していないため、同修との協調ができていませんでした。それから、同修同士が真に内に向けて探さないため、トラブルは絶えず現れ、結果として去年のチケット販売状況はあまり良くなかったのです。神韻の公演期間中も同修の協調が悪く、そのためいろいろな問題が起きました。これらの出来事は、棒で頭を殴られたような思いがしました。神韻の公演終了後、私はしばらくの間、内に向けて探し続けました。救われるべき衆生が座るはずだった席が空席となったことを思い出す度に、心が痛み、衆生に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、悔し涙を流しました。
今回の出来事を通して認識できたのは、法をよく勉強できていれば、自分の心理状態を清浄にすることができ、同修とよりよく協調ができ、チケットの販売が順調にできるようになり、真に衆生を救えるということです。そのため、去年の神韻公演終了後、私たちは学法グループを作り、朝は『転法輪』を学び、夜は経文を学んでいました。同時に交流し続け、知らず知らずのうちに同修の隔たりが取り除かれました。今年の神韻の際、地元の同修が一体になり、同修たちは積極的に各項目に参加し、黙々と仕事をこなし、全体を円融し、結果として今年の神韻公演は成功裏に終えることができました。会場を超満員にすることができました。
今年の神韻チケット販売の過程で、私は学法や煉功を欠かすことはなかったのです。そして、毎日チケットの販売過程で発正念を大切にし、時間があれば『論語』を暗唱していました。神韻を行う基点を正しく置いていたため、去年と比べて状態も違い、一日立ったままでも疲れを感じず、一日話しても喉が渇くことなく、声が喉から発されているような感じがしませんでした。チケット販売所から離れるのが惜しいような気持ちになりました。売れたチケットの枚数も気にしなくなり、衆生に神韻をちょっと紹介しただけでチケットを購入してくれるのです。私は、今年の神韻チケットの販売は、邪悪の妨害が少なく、大法弟子の心の持ちようが大切で、行った分だけ衆生を救えるのだと悟りました。
(続く)
2010年7月26日
(中国語:http://minghui.org/mh/articles/2010/5/31/224633.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2010/6/12/117804.html)
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